何を信じて生きてきたか  


    あなたは勝つものとおもってゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ

 土岐善麿の、昭和21年の歌である。「この戦争は勝つと、あなたは思っていましたか」と年老いた妻は寂しげに言った。このときの妻の心、これでは勝てるはずがないと思いつつも、勝つと信じている人びとのなかで、なんとなく自分も信じてもいた。しかし、信じているようで信じきれない懐疑もあった。その微妙で複雑な寂しい心境を、妻はつぶやくように、夫に言ったのである。だまされていたのかもしれない、がそう言い切ることにためらいもある。

    子らみたり召されて征きしたたかひを敗れよとしも祈るべかりしか

 同じころの土岐善麿の歌。我が子三人が召集されて出征していったあの戦いを、敗れよと祈るべきだったのか。これも反問であり煩悶である。我が子が兵士として出て行った戦争に、負けよとは祈れず、勝つことを望んだ。しかしそれは戦争遂行に加担する意思ではなかった。そういうジレンマを生きたのだ。

    学問といふものの静かなるよろこびをおもひ知りつつ妻と語らふ

 土岐善麿の戦後に訪れたのは、真実を追究する学問の世界の静けさだった。戦争時代の胸騒ぎは去った。戦争の大儀を信じ、勇ましく鼓舞したときには感じることのなかった喜びを、しみじみ妻と語り合うのである。

    沈黙のわれに見よとぞ百房の黒きぶどうに雨ふりそそぐ

 敗戦の翌年、斎藤茂吉の歌である。茂吉62歳、終戦を郷里の山形県上ノ山町で迎えた。茂吉は聖戦を信じて戦争を鼓舞してきた。だが信じた戦争はまちがった戦争だった。敗戦後の傷心の日々、自分を責め、悔い、ただただ沈黙するしかなかった。打ちひしがれた茂吉の心をよみがえらせていったのは、ふるさとの山河であり自然であった。

    こゑひくき帰還兵士のものがたり焚火の継がむまへにをはりぬ

 同じころの茂吉の作である。戦争から帰ってきた兵士は、戦争の体験を声を落とし低い声で語る。焚き火に薪を足し火を継ごうとしたら、話は終わってしまった。兵士もまた語る言葉を持たなかった。この後に続く沈黙と闇の深さを感じさせる。そして、茂吉は詠う。

    軍閥といふことさへも知らざりしわれを思へば涙しながる

 明治維新を推進した薩摩・長州の藩閥は、海軍、陸軍の上層部をにぎり、特権的な政治勢力となった。政治を左右する軍閥は1945年の敗戦まで続いたのだった。茂吉はそのことを知らなかったと悔やむ。そのことを思うと涙が流れる。

 この時代から68年目を迎えている。我々はこれまで何を信じて生きてきたか、そこになんらの疑いも抱かなかったのか。いまどんな懐疑を抱いて生きているのだろうか。