教育

 敗戦後の日本で、教育はどのように創られていったか <9>

戦争が終わったとき、愛知県蒲郡出身の金沢嘉市は37歳だった。後に「ある小学校校長の回想」(岩波新書)を著した金沢は、戦時中の自らをふりかえってこう書いている。 「『鬼畜米英』も教えた。『討ちてしやまん』も教えた。『大君のへにこそ死なめ』も教え…

 敗戦後の日本で、教育はどのように創られていったか <8>

無着先生は3年間、この生徒たちを教えた。そして彼らを送り出した。その卒業式で、藤三郎は代表として答辞を読んだ。その出だしはこうであった。 「私たちが中学校にはいるころは、先生というものをほとんど信用しないようになっていました。私たちは昭和1…

 敗戦後の日本で、教育はどのように創られていったか <7>

無着成恭先生はこう書いている。 「私は社会科で求めているようなほんものの生活態度を発見させる一つの手がかりを綴方に求めたということです。(「山びこ学校」に収められた)綴方や詩は、出発点として書かれたものです。一つ一つが問題を含み、一つ一つが…

 敗戦後の日本で、教育はどのように創られていったか <6>

「山びこ学校」の生徒、佐藤藤三郎たちが二年生になったとき、社会科の勉強で農村調査を行なっている。山元村では米が足りなかった。村の人口は二千人ぐらいで、食べる米の自給率は三分の二程度、三分の一は他から買ってこなければならない。クラスの生徒43…

 敗戦後の日本で、教育はどのように創られていったか <5>

戦時中弾圧を受けていた生活綴方運動の教員たちは、敗戦と共に運動復活に向けて動き出す。その一つの結晶が「山びこ学校」だった。 「先生はにこにこしながらこんなことを言いました。 『みなさんが利こう者になろうとか、物知りになろうとか、頭がよくなる…

 敗戦後の日本で、教育はどのように創られていったか <4>

白鳥先生は、二学期になって48名の子どもたちを8グループに分け、グループはそれぞれ机を三つくっつけて周囲に座る形態に変えた。一つの班8人は向かい合って話し合いができる。 9月8日 リンゴ盗難事件が起こった。文江、光子が持ってきたリンゴがだれかに盗…

 敗戦後の日本で、教育はどのように創られていったか <3>

<黒豆を収穫した> 職員会議の決定を聞いた6年松組の子どもたちは、討論を始めた。クラス自治会は活発に動きだしている。白鳥邦夫先生はこう書いている。 「私には伝達・提案・発言の義務や自由はあるが、議決権はなく、指揮権発動も自分で封じている。私…

 敗戦後の日本で、教育はどのように創られていったか <2>

1945年8月15日、白鳥邦夫は海軍経理学校の生徒であった。その日、彼は日記にこんなことを記している。 「12時、大元帥陛下の玉音を拝す。聖断ついに米英ソ支四カ国のポツダム宣言を受諾されたという。畜生!と思えど、聖断の一語が身を縛す。‥‥悲しみと憤り…

 敗戦後の日本で、教育はどのように創られていったか <1>

軍国主義に徹しているように見えた人が、敗戦後ころりと変って、民主教育を積極的に始めた。それを不信や懐疑の念で言われることがある。けれどその変化は少しも不思議なことではない。むしろ変って当然で、軍国主義体制のなかで戦争遂行に向かっていたその…

 憎しみから和解へ 小説「恩讐の彼方に」(菊池寛)

憎しみ・恨みから、赦し(ゆるし)・和解へ、その心境の転換を描いた、「山椒魚」(井伏鱒二)の最後、狭い岩屋のなかに閉じ込められて暮らしてきた二匹の心の中に変化が生まれる。山椒魚の心には友情が芽生え、蛙の自由を奪うのはやめようと思う。蛙も、自…

 現代の孤独と小説「山椒魚」

高校国語の教科書に、小説「山椒魚」(井伏鱒二)が載っている。川の中の狭い岩屋に閉じ込められた山椒魚の話だ。大正時代に元の作品「幽閉」が書かれ、改作されて1929年(昭和4)に「山椒魚」として発表された。 この短編小説には大きな謎がある。昭和初期…

 なぜだろう?

きれいな「クサムシ」をつかまえた。「ヘコキムシ」とも呼ぶ。「クサムシ」は「カメムシ」。「クサムシ」はずばりくさい匂いを出すから付けられた名で、「カメムシ」の名はなんともはや、お粗末なことで、今日までその虫の形が亀に似ているということを意識…

 キンモクセイの香り

教室に金木犀の小花を持ち込んだのは、ジャガイモだった。中学3年生の教室はトイレの隣にある。男子の小便をするところには便器もしきりもなかった。 二学期に入ったある日、3時間目の授業が終わって先生が職員室に帰っていくと、ジャガイモは平屋の木造校舎…

 哀しみを感じ、優しさを感じる心

灰谷健次郎がかつてこんなことを書いていた。「優しさという階段 エッセイ集」のなかである。 <最近、わたしは『ダウン症の子をもって』(正村公宏著 奥さんの文章が多く挿入されている)を読ませていただく機会をもって、こんにちのむずかしい障害者(児)…

 「弱者」の価値、強味、社会の中での意味<2>

ヒロシとサトシには、通い合う友情があった。 ヒロシは生まれるときの障がいで、脳性マヒになり、運動障がい、知能障がい、言語障がいをもっていた。一人で歩けるようになったのは3歳になってからで、体の成長は遅れ、中学生になってからもクラスでいちばん…

 「弱者」の価値、強味、社会の中での意味<1>

フクちゃんのお父さんが、昨年、高橋源一郎氏の講演を聞いて書いた文章を読んだ。ダウン症のフクちゃんの育児日記だが、そこに書かれている高橋源一郎氏の講演内容と、フクちゃんのとうちゃんの思いとにふれて、ぼくは心が開かれる思いがした。新聞で高橋源…

 第二回「教育創造ミーティング」IN 地球宿 <2>

明治24年というと日本の近代教育が始まったばかりのころである。 長野県に大江礒吉という教育者がいた。島崎藤村の小説「破戒」は、この人がモデルになっているという。 水野永一は、2008年(平成20)、「『破戒』のモデル大江礒吉考」(ほおずき書籍)を上…

 第二回「教育創造ミーティング」IN 地球宿

地球宿で、昨日「教育創造ミーティング」の第二回が行なわれた。午後1時半から延々討論はつづき、時計を持っていなかったからトイレに立って、薄暗い宿の壁にかかっている時計を見たら、6時前だった。これは大変だ、日曜日の夜は公民館の日本語教室だ。あわ…

 基礎学力の陥没

レポートに、谷川俊太郎の「二十億光年の孤独」という詩の問題がある。 そこに、 「万有引力とは ひき合う孤独の力である」 という一文が出てくる。 彼女は「万有引力」の漢字が読めなかった。 つづいて、 「万有引力って何?」 と彼女は質問した。 「小学校…

 歴史を知ることとは

太田慶一は、昭和13年2月に召集され陸軍に入隊した。25歳だった。東大を出て、出版関係の仕事に一時たずさわってからの召集だった。その年の7月7日、盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が勃発、従軍した太田は、10月2日、漢口攻撃の部隊にいた。今は武漢市漢口…

 白馬高校の未来を考える

ぼくは白馬高校とは何の関係もない。けれども、白馬高校が廃校になるかもしれないという情報を聞くと、自分の身内がなくなるような感情が湧き上がってくる。白馬には強い思い入れがあるからだ。18歳で初めて夏の白馬岳に登ってから、春夏秋冬何度も白馬岳と…

 感情のコントロール

昨年のこと、時間をもてあましている感じに見えた女子生徒に「アンネの日記」を読みましたかと聞いたら、読んでいないというから、家から持っていって貸してあげた。高校生だが、この種の本をまったく読んでいないようだった。女の子は数日後読みましたとい…

 「第一回教育創造ミーティング」<6>

教師にはどうしようもない無力感がある。一方で学校への不信、不満、失望がある。学校改革、教育改革はどの時代にも叫ばれてきた。この社会はどこへ向かっているのか、この国はどんな国になっていくのか、その不安に随伴する教育への懐疑である。 無力感、失…

 「第一回教育創造ミーティング」<5>

黒沢川のほとりで行なわれている民間野外教育「どあい冒険くらぶ」のキャンプ地のすぐ下に河川敷の自然公園がある。この自然公園は旧三郷村時代に、三郷中学校の生徒たちが設計して、実際に労力のうえでも手伝って創られたものだと聞いている。特別なものは…

 「第一回教育創造ミーティング」<4>

「ミーティング」で、本の読み聞かせや紙芝居をやりたいという人がいた。学校や地域で、それがもっと盛んに行なわれるといいなあと思う。さらに人形劇や演劇も含めて‥‥。ぼくの子ども時代には、紙芝居屋のおっちゃんが、自転車に紙芝居を積んでやってきた。…

 「第一回教育創造ミーティング」<3>

「教師もまた右に倣え、管理職も右に倣え、教育委員会も右に倣え、そんな教育界では、子どもも右に倣え」と書いたのは、現場には現場のどうしようもない力学が働いていて、学校という世界の中で個々の教師が思いきった改革や実践ができない状況にあるからで…

 「第一回教育創造ミーティング」<2>

「第一回教育創造ミーティング」のなかで出てきた意見で、よく状況が理解できないところがあるのだが、野外保育で育った子らが小学校へ入ると、他の子らとの違いが出てきて、小学校の先生からいろいろ言われることがあるという。小学校の先生がその子らの行…

 「第一回教育創造ミーティング」<1>

<写真:「どあい冒険くらぶ」のドラム缶風呂> 地球宿の8畳二間を一室にして、ぐるっと輪になって座った人たち、27人。よくまあ、集まってきたもんだ。雪が深くて、地球宿の向かいの空き地につくられた駐車場のスペースも限界がある。 小高さんからメー…

 「隠す」生き方

硬く口を閉ざして、人には言えない秘密を持っている。これだけは口が裂けても言えないと心にもち続ける、そういう人がいる。人にはそういうものがある。 ふるさとをかくすことを 父は けもののような鋭さで覚えた ふるさとをあばかれ 縊死(いし)した友がい…

 現実を見つめ「なぜ?」と問い返す力―ー生活綴り方教育の再興を

ぼくのポンコツ車が雪に埋まった 昨年12月18日、「聞こえる、聞こえない、音や声」のタイトルで書いた記事のなかに、ぼくは一編の児童詩を紹介した。それについて、ニックネーム「じゅげむ」さんから、とても参考になるコメントをいただいた。 尼崎市在住の…