憎しみから和解へ 小説「恩讐の彼方に」(菊池寛)

 憎しみ・恨みから、赦し(ゆるし)・和解へ、その心境の転換を描いた、「山椒魚」(井伏鱒二)の最後、狭い岩屋のなかに閉じ込められて暮らしてきた二匹の心の中に変化が生まれる。山椒魚の心には友情が芽生え、蛙の自由を奪うのはやめようと思う。蛙も、自分を幽閉した山椒魚を恨む気持ちが薄れ、赦そうと思う。和解すれば蛙は再び自由な世界へ脱出することができる。山椒魚自身は岩屋から出られないけれど、蛙が自由な世界に出て行くことによって、自分の心に喜びが生まれる。悪意をもって生きることは苦しい。悪意の中から喜びは生まれない。
 この気持ちの変化を生徒たちが自分自身の心の体験をも探りながら想像していく授業展開ができるといいなと思う。中・高生ならば、他者からの拘束や抑圧に反発したこともあるだろう。親や教師やほかの生徒から受けたその種の行為への怒りや憎しみを感じたこともあるだろう。その感情をもとにしながら考えることができればそれこそ生きた授業となる。

 和解をテーマにした作品では、小説「恩讐の彼方に」(菊池寛)という小説がある。子どもから大人まで、幅広くこの小説は読まれてきた。
 父の敵(かたき)を討とうと恨みに燃えて追い続けてきた息子が、最後に復讐を成し遂げるチャンスに遭遇するのだが、その最後の段階で執念を解き放ち、和解に向かう話である。小説は1919年(大正8)に発表された。
 安永三年の秋のこと、市九郎は主人の妾、お弓とねんごろになったために主人からお手打ちにされかかった。けれど家臣の市九郎は反撃して主人を殺してしまう。主殺しの罪を負うた市九郎はお弓を連れて逃亡生活に入り、たちまち悪の道に転落する。お弓にそそのかされて強盗殺人を次々と犯すのだ。木曽の鳥居峠で二人は茶店を開き、昼は茶店で客を迎え夜は強盗の常習となった。だがそそのかすお弓の強欲は止まるところを知らず、市九郎は深い良心の呵責を感じるようになった。彼は一刻も早く罪深い過去からのがれたくなり、お弓を捨てて逃げる。
 美濃の国にのがれた市九郎は浄願寺の上人に救いを求め、罪をざんげする。自首しようと言う市九郎に上人が諭す。
 「仏道に帰依し、衆生のために身命を捨てて救うとともに、なんじ自身を救うのが肝心じゃ」
 それを聞いて市九郎は出家する。法名は了海である。了海は仏道修行に没頭し、やがて人を救済する大願を起こして諸国をめぐる。道で難渋している人がいるとその手を引き、病に苦しむ人がいれば背に負うて歩き、橋が壊れていたら山に入って木を切り出し石を運んで修繕した。しかしそんなことでは自分の悪業を償うことはできないと思う。
 筑紫の国に来たとき山国川の難所でたくさんの人が命を落としていることを住人から聞いた。市九郎は求めていたものがみつかったと思う。一年に十人を救えば十年で百人、百年、千年とたつうちには千万の人の命を救うことができる。200間(約360メートル)に渡る絶壁の道、その内側を掘りぬいてトンネルをつくろう。心に決めた市九郎は村々を回って、寄進を求めた。しかし相手にする者はだれもいない。市九郎の決意は変らない。彼は一本ののみとつちを持って、一人で大絶壁に立ちむかった。岩にのみを打ち込む。人々は見向きもせず嘲笑するばかり。一年たって一丈(3メートル)の洞窟がうがたれただけだった。‥‥
 ここから文章はすごみを帯びてくる。市九郎の心の状態、里人の心の状態が詳しく語られていく。
 四年目になると人々の眼が変化し始める。九年たったとき、洞窟は22間(40メートル)になった。里人の心は軽蔑、同情、驚き、落胆、驚異、尊崇と移り変り、ついに自分たちもそこに加わろうと行動をおこすようになった。掘り手にたくさんの石工が入った。
 そこへ現れたのが敵討ち(かたきうち)の悲願をもった実之助であった。父のあだを討とうと、復讐の執念でやってきた実之助は、憎き敵にめぐり合う。トンネルを完成させたいという大願を抱く市九郎は実之助に討たれてやりたい、しかし洞窟を完成させたいという悲願がある。市九郎はトンネルの完成まで待ってほしいと懇願する。里人も石工たちも、了海を守って、大目的を実現したい。
 ここから実之助の心の変化がつづられる。人々を救うという大きな目的のために自分の命をかけている了海の姿が実之助の心を変えていく。ついに実之助は了海と一緒に岩に向かう。実之助の目的達成のために、同時に了海の目的達成のために。その過程は、実之助の怒り、憎悪が昇華していく過程だった。
 21年目、真夜中の12時ごろ、了海の下ろした一打が洞窟の外に貫通し、夜空に浮かぶ月が見えた。二人は手を取って涙にむせぶ。そのとき実之助のこれまでを苦しめた憎しみと報復の気持ちはすっかり消えていた。了海も過去の罪の苦しみから自身を救うことができたのだった。