第二回「教育創造ミーティング」IN 地球宿

 地球宿で、昨日「教育創造ミーティング」の第二回が行なわれた。午後1時半から延々討論はつづき、時計を持っていなかったからトイレに立って、薄暗い宿の壁にかかっている時計を見たら、6時前だった。これは大変だ、日曜日の夜は公民館の日本語教室だ。あわてて途中退席をした。たぶん座長は6時に終わるつもりだったのだろう。それほどミーティングは熱がこもっていた。
 第一回ミーティングは参加者25名で、二つの和室を一室にして、輪になって座るとぎっしり詰まった。二回目のこの日は15人という人数制限で、一重の輪がゆったりしていた。参加希望者が15人になったところで締め切るというやり方がとられた。
 教育をなんとかしなければ、という切実な思いの、様々な活動をしている人たちが集まってきていた。
 地域で、子どもの自然体験活動を実践している人、介護士をしている人、学習塾を主宰している人、造園業を行なうかたわら地域づくり市民運動をしている人、公立小学校に勤務していたがそこを辞めて3人の子育てをしながら教育とこれからの生き方を模索している人、メンタルボディセラピーの技術を持ち、ボランティアで学校に入って子どもの指導をしている人、医師を職業としながら教育を考えている人、不登校の子どもをもつ母親、元教師の市会議員など、実に多士済々だった。
 最初に「地域が支え創る公教育」の観点から、基調報告的発表が行われた。発表は、三郷小学校地域コーディネーターにたずさわっている峰岸芳夫さんだった。
 教育とは何か、いろいろな説や考え方がある。峰岸さんの考えは「社会力をつけること」、すなわち「人と人とがつながり、社会をつくる力」をつけることに力点をおく。峰岸さんは、高校教員であった。その経験をふりかえり、「クラスをつくることを通して民主主義社会をつくる力を養う」実践が時代と共に困難となってきたことを語った。討議する力が育たない。
 この報告を聞いていて、長野県の状態は全国に共通する問題でもあると思った。戦後の民主教育創造の中に位置づけられた生活指導の柱には、「討議をする力」があった。自分たちが所属し生活する学級集団を、みんなで力をあわせて学び育つところにつくりあげていく、その協働のなかに「討議する力」を育てる取り組みがあった。それが時代と共に薄弱になっている。生徒が自分たちの問題、クラスの問題を話し合うことをしない。そして、学校、教師からの「校則を守れ」「秩序を守れ」という号令が生活指導の柱になっていった。
 峰岸さんは、昭和50年以後、教員・地域・家庭の信頼関係が希薄になり、平成になってから、ホームルームの討議が成立しなくなり、教育界が「競争の原理」、「自己責任論」に支配され、人間相互の信頼関係も希薄になったと言う。
 峰岸さんは、教師を退職して、今、再び地元の小学校の地域コーディネーターとなった。アイガモ農法の米作りを農家と子どもたちと体験し、米作りを終わった後のアイガモを食べるという取り組みに挑戦している。学校を「共生」の学力づくりの場にする活動である。
「ミーティング」は討議に入り、自分の生き方、自分の体験、自分の子どもの実態に立った意見を、自分の体内からしぼりだすように、参加者は語りだした。

 公教育とは、いったい何なんだ。何が公なのか。
 公教育は不毛なのか。公教育に希望はあるのか。
 教師たちは今どのような状態に置かれているのか。
 子どもたちは、今どのような夢をもっているのか。
 子どもたちは、民間の自然体験教育の活動場面では、生き生きと子どもらしく、仲間とつながっている。
 では、親は、どんな人間に我が子を育てたいと思っているのか。

 そして、教師たちは、学校の中でも、地域からも孤立している。教師たちは自主的研究会もできない。教師たちは疲れている。行き詰っている。SOSも出せず、意欲・創造性を失っている。
 公教育の外から、市民のつくる教育実践、市民の学校支援、公教育と地域のつながりをつくれないか。地域コーディーネーターの実践は、公教育を変革していく可能性をはらんでいる。堀金中学校での市民ボランティア講師の実践も、民間の野外教育活動を実践している「どあい冒険くらぶ」の存在も、閉鎖されてきた公教育の行き詰まりを溶かしていく可能性をはらんでいる。