白馬高校の未来を考える


 ぼくは白馬高校とは何の関係もない。けれども、白馬高校が廃校になるかもしれないという情報を聞くと、自分の身内がなくなるような感情が湧き上がってくる。白馬には強い思い入れがあるからだ。18歳で初めて夏の白馬岳に登ってから、春夏秋冬何度も白馬岳とその周辺を跋渉した。雪崩による遭難も体験した。スキーでも何度も訪れ、農家民宿に泊まって、宿主と親しくなった。
 自分にとって、白馬は特別な存在になっていた。
 白馬高校についてニュースは伝えていた。
 生徒数が減り、140余人となったために、白馬高校の存続が危ぶまれている。廃校にするか、他校の分校にするか、高校存続の条件を満たすことができなくなっているのだという。長野県全体の生徒数も少なくなっている。そこへもってきて、白馬村は僻村である。通学も難しく生徒数を確保しにくい。
 そういうことだった。それにしては、悲観的なことを言う。スキー選手を育ててきた伝統ある高校ではないか。
 白馬村の地域環境、自然環境はそれこそ人間教育にもってこいだ。アイデアが無さ過ぎるのではないか。
 県から、観光科を設置したらどうか、というのが出ているらしい。観光科、それだけ? なんだか寂しい。もっと大胆に教育を構想できないものか。
 今の子どもたちの状況と学校教育の状況とを見てみると、引きこもり、不登校、いじめ問題、内向き思考、コミュニケーション力や社会性の不足、創造力やチャレンジ力の弱体化など、多くの課題がある。しかし、教育はそれに対して正面から取り組む態勢にない。授業や教育内容の研究実践が通り一遍になっている。
 この沈滞、どう打ち破るのだろうか。
 未来社会をつくっていく人間を育成するという教育力をもった学校づくりが、今もっとも求められていることではないか。そういう学校づくりを目指せないか。
 白馬村には、美しく豊かな、そして厳しい自然がある。スキーシーズンには外国からもたくさんスキーヤーがやってくる。登山や自然の中のウォーキングを楽しもうと国内外からやってくる人も多い。その自然環境を教育に活かす。そうして学校だけにとじこもらず、学校を地域に開く。学校の力と、地域住民の力と、訪れる人たちの力と、生徒たちが持っている力と、自然の力と、スポーツ・芸術の力と、‥‥それらの力が人を育て、衰退した子どもをたくましい豊かな人間にしていく。そういう学校をつくれないか。
 たくましい人間性、豊かな教養や感受性、新しい白馬高校は、どこにもない教育内容を作り出す。
 そのための教育条件はこうだ。
 希望する生徒は寮生活ができるようにする。県外からも生徒を受け入れる。
 山を歩き、森を散策し、雪に遊び、自然を観察し、自然を体感し、自然の中で学ぶ。
 生徒同士、生徒と教師、生徒と住民、生徒と外国人の交流を行ない、コミュニケーション力を培う教育内容を考える。
 地元で創作活動をしている人たちが学校教育にかかわる。村外、県外からも受け入れる。芸術、文学、建築、木工、料理、農業、園芸など、さまざまな創造的実践をしている人を講師に、教育内容をつくる。
 自然科学の学習・研究が深められるようにする。たとえば、天文学、気象学、林学、生物学、地学など。
 そして生徒同士の討議のある学校をつくる。また他校生徒とも討論する機会をつくる。民主的に社会を創る協議力の養成だ。

 こんなふうに、いろんな人たちが、未来に向けて、可能性をもった学校づくりの提案を出し合うことが出来ないものか。新しい学校はそんな討論から立ち現れてくる。行政や教育委員会、トップが「こうする」、で終わりにしては何も生まれない。教育の改革もできない。