現実を見つめ「なぜ?」と問い返す力―ー生活綴り方教育の再興を


   ぼくのポンコツ車が雪に埋まった

 昨年12月18日、「聞こえる、聞こえない、音や声」のタイトルで書いた記事のなかに、ぼくは一編の児童詩を紹介した。それについて、ニックネーム「じゅげむ」さんから、とても参考になるコメントをいただいた。
 尼崎市在住の高橋さんとおっしゃるその方は、秋田の南部で生まれ育ち、小学生の頃、担任の先生の国語授業の中で教えてもらった「きてき」という児童詩は、ぼくの書いた詩とは違っていた。高橋さんが教えてくださったのはこういう詩だった。

          汽笛 
    「ヤエゾウ 泣ぐな あばがくるよ」

 タイトルが「汽笛」、兄が弟に言っている一行詩。ビーンと心に来るものがあった。高橋さんは、こう記しておられる。

 <作者名は憶えておりませんが、これは貴方が紹介された詩の原形ではないでしょうか? 記憶が定かではありませんので”ヤエゾウ”は、”やえぞう”だったかもしれません。小学生には”八重蔵”は難しく、書けなかったと思います。この詩は発表後有名になったらしく、以前NHKで放送された全国都道府県を記録した番組の「秋田」編でも紹介されていました。私見では、この詩は簡潔すぎる上に方言が入っているので、全国の子供達に理解しやすいように翻案されたものが出回ったのだと思います。私は私が憶えている詩の方が好きです。簡潔でイメージがふくらみます。>

 ぼくは高橋さんに返信をコメント欄に書いた。

<高橋さん、ありがとうございまいた。なるほど、原形の詩があったんですねえ。「汽笛」がタイトルで、「ヤエゾウ 泣くなあばがくるよ」の一行詩だったのですか。納得します。児童がひょいと口にしたとしたら、そうかもしれません。

   あの汽笛
   田んぼに聞こえただろう。
   もう、あばが帰るよ。
   八重蔵、泣くなよ。

 私の記憶にあるこの詩は、児童詩にしてはよく整っています。理解しやすいように、手が加えられたのかもしれませんね。私のブログのこの詩をよくまあ見つけて、コメントをくださいました。海の中の一個の貝を見つけるように。不思議な思いがします。参考になりました。>

 そうしたらまた高橋さんがコメントしてくださった。

 <あの後、まだ気がかりだったのでネットで調べてみました。
そこで地元のとあるブログを見つけました。
 http://history.riok.net/chapter06_section04.html
 ここには吉田さんの紹介された詩が、ほぼそのままの形で掲載されています。伊藤重治という、当時小学4年の作者名も記載されております。これはまず間違いないでしょう。私は訳が分からなくなりました。記憶違いではないと思うのですが。先生が授業の参考資料として改変されたのかもしません。いつか先生にこのことを尋ねてみようと思っております。>

 高橋さんに教えられた先生がまだ元気でいらっしゃるのならば、ぜひそのことをお聞きしてほしい。
 ぼくは高橋さんの紹介してくださった
http://history.riok.net/chapter06_section04.html
を開いてみた。そのブログは横手市上内町の小川 笙太郎さんのものだった。読んでいくと、横手尋常小学校の文集も載せられている。ぼくはまた高橋さんに返事を書いた。

 <私が青年教師だった頃大きな影響を受けた北方性教育、生活つづり方教育運動の歴史を垣間見ることができて、うれしく、なつかしく思いました。そのブログを書いておられる方は80歳を越えておられるのですねえ。ぼくは今の時代と現代の教育と子どもたちの様子を見ていて、現代に生きる生活綴り方教育の再興が必要だと思っています。いじめや、体罰や、不登校、家族が共につくっていく暮らしの変質、地域の子どもの遊びグループ消滅、内向き生活、とじこもり・ひきこもり、などの現象が懸念されています。しかし教育を創造していく実践はどうなっているんだろうと思います。上からの教育統制ではもっと問題は深刻になると思っています。それを解決していく教育の一つはこの生活綴り方教育運動の再興だと思うのです。よいブログを紹介してくださり、よかったです。ありがとうございました。>

 こう返信して、さらに小川さんのブログを読んでいくと、生活綴方の歴史が紹介され、そして「北方教育」を代表する詩として「きてき」が紹介されていた。

       きてき   
          金足西小四年 伊藤 重治

   あのきてき
   田んぼに聞こえただろう
   もう あばが帰るよ
   八重蔵
   泣くなよ

      学級文集『木立』三号 指導/鈴木三治郎(昭和6年

 小川さんは、生活綴り方教育について述べておられる。
 昭和初年頃、綴方の作品研究を通して、秋田が生んだ「北方教育」の青年教師たちによる「新しい子ども観」「新しい生活観」は、教科書主義・公式主義的なこれまでのとらえ方からのコ ペルニクス的転換を意味するもので、綴方指導の大きな指標となった。その具体的な指導のひとつが「生活をありのままに綴らせる」であった。生活をありのままに綴らせる、そのための第一は、自分と自分のまわりの生活現実を「ありのままに」「具体的に」とらえさせる、それは、作文教育のためばかりでなく、教育全体、学問の世界にかかわる実践であった。
 心がけ主義・修身主義にがんじがらめにされていた子どもたちに、いまある生活現実のあるがままを、事実に即して、自分のことばで見る、綴ることを通して、きびしい現実に立ち向かう、くじけない生き抜く力をとらえさせたい。『北方教育』の青年教師たちの実践はそこにあった。
 喜びの時は喜びを、悲しみのときは悲しみを、怒りのときは怒りを、「ありのままに」出し切る。美しいものと体面したら美しいと、ウソを見破ったらウソと、はっきり言い切る。これが人間らしい人間である。 感動、心の屈折を、その過程とともに綴らせることによって、生きるちからの糧とするのだ。 
 息つくことさえも不自由で貧しかった時代、「なぜ」と問い返すことが出来なかった時代、苦しい、せつない現実のなか、修身主義・心がけ主義にがんじがらめにさせられていた子どもたち。
 「なぜ」のない時代に、「なぜ」をバネにし、テコにして、現実を「みつめなおし」、「生きる力・生き抜く力」を可能にしていく、 「綴る力(書く力)」イコール「生きる力」となる人間教育! 秋田が生んだ「北方教育」は、これまでの修身主義的な教育を否定し、新しい子ども観・生活観をうちたてた。 するどい、新しい「子ども観」「生活観」が青年教師らによって叫ばれたのだった。


 しかし、ひたはしる軍国主義は生活綴り方教育を実践する教師たちを大弾圧していった。