「第一回教育創造ミーティング」<1>

<写真:「どあい冒険くらぶ」のドラム缶風呂>


 地球宿の8畳二間を一室にして、ぐるっと輪になって座った人たち、27人。よくまあ、集まってきたもんだ。雪が深くて、地球宿の向かいの空き地につくられた駐車場のスペースも限界がある。
 小高さんからメールをもらい参加した「第一回教育創造ミーティング」は、日曜日午後1時半から始まった。ふすまを背にもたれるように座布団に座ると、外の庭の雪が見える。あぐらをかけば、隣の人の膝とぶつかる。配られた参加者名簿を見ると、20歳の大学生から高齢者まで、なんとバラエティに富んでいることよ。教育に関心を持っている人、実際に何らかの教育活動をしている人たちが、メールの情報だけでこれだけ集まってきたとは驚きだった。催しがあるということを知っただけでは人は寄って来ない。やはり地球宿のこれまでの活動とつながりが、基盤にあっての人の寄りであろう。人寄せのためのキーパーソンもいないし、イベントもない。集まってゼロから話し合おう、夢を語り合おう、そういう会にこんなに多彩な人の集まりができたということに、この安曇野社会も潜在力を持っているんだなあと感慨深かった。
 初めに5分間ほどの自己紹介を全員順番にしていった。書き並べてみると、こんな人たちであった。
 シュタイナーに学び、魂と魂が自由に会話できる社会にしたいと考えている個人塾の講師、共育の考え方でフリースクールをつくりたいという会社員、林業をしながら森から学ぶことを考えている若者、野外保育・野外体験の活動をしている人、庭師をしながら、大人と子どもが学びあう「共育」活動を地域につくっている人、消費経済至上主義の社会を変えるために地域に寺子屋をつくりたいと夢みる医師、ボランティア講師でヨガを学校生徒に教え、子どもたちをメンタル面で支えたいと活動している人、子どもの遊び場をつくろうと、まずはベーゴマ倶楽部を立ち上げている人、学校で、命の授業をしている建築家、親子で料理を作り楽しむパートタイマーの婦人、野外保育の幼稚園に子どもを通わせ、地域で作文教室を開く夢を持っているお母さん、命や体のことを紙芝居やマンガにして学校などで子どもたちに見せたいという夢を抱くお母さん、野外体験活動を行なう「森の子」保育園の保育士、学校を変えたいと思いながら困難な状況に悩む小学校教師、山村留学やニート不登校の子どもの宿にかかわってきたご夫婦、学校で囲碁教室などをしながら学校に入ってコーディネーターをしている人、そして子どもの冒険クラブやくじらぐもの野外教育実践者も語った。

 自己紹介を聞きながら、ぼくは考えていた。このなかでぼくは最年長だ。20代が3人、30代が8人、40代が9人、残りが50以上。60代以上は3人だった。この若さと自発性、このような人たちがいたのだ。隠れ埋もれて、その存在を知らなかった人たちが突如ぼくの眼の前に現れてきたような思いがした。多彩な個性、何かを生み出したいと願う情熱、たとえばこの人たちが動けば学校もつくれる。学校をつくるとおもしろいだろうなあ、と思う。
 つづくフリートーキング。今の学校の状況や、子どもの状況が語られた。市民が学校教育にかかわることの必要性が出された。学校教育に風穴をあけることができないか、市民も学校に入って先生たちと一緒に学校教育をつくれないか。民間の野外保育、野外教育活動と公教育とを結びつけ、開かれた学校がつくれないか、より子どもの育つ学校ができないか。
 フリースクールや地域の子ども育ちの遊び場、地域の寺子屋が生み出せそうな気持ちがふくらんでいくようであった。
 建築家のSさんが、こんなことを話した。
 川に橋を架ける。その橋がどれほどの重さに耐えられるかを子どもたちで考える授業もできる。重さに橋がたわむ、どれほどたわむか、それを掛け算と割り算で、小学生でも計算できる。私をスカウトして授業させてほしい。
 大学生がこんな話をした。
 自分たちの中学時代は、自殺やいじめが多発した。大学の教育学部では教育の現場とは無縁の授業が行なわれている。テキストを読むだけ、講義だけ、学生たちで討議することは全くない。教師は、出席していたら単位はやると言う。学生も他の学生と話もしない。他者とかかわりたくないという。そういう学生が教師になっていく。この集会に参加して、学ぶ元気が出てきた‥‥。
 ぼくは発言して、
 黒沢川で行なわれている「どあい冒険くらぶ」の野外教育実践や、押野山の「くじら雲」の自然保育を参観するといいですよ、一日子どもと一緒にそこで過ごすといいですよ、眼からうろこの体験をしますよ、
と勧めた。
 集会参加は小学校教員一人、このような論議の場に参加する意味は大きい。疲れて気力を喪失し、他者から学ぶこともできない現役教師たちが参加して、気力を涵養し、智恵を得ることができれば、と思う。
 この集会、第二回、第三回と続けていけば、そこから必ず何かを生み出すことができるという予感が強くした。混沌から何か生まれる。