レポートに、谷川俊太郎の「二十億光年の孤独」という詩の問題がある。
そこに、
「万有引力とは
ひき合う孤独の力である」
という一文が出てくる。
彼女は「万有引力」の漢字が読めなかった。
つづいて、
「万有引力って何?」
と彼女は質問した。
「小学校、中学校で教えてもらわなかった?」
「うん、教えてもらってない。知らない」
「そうかあ、ニュートンという人 知ってる?」
「知らない」
「そうかあ、リンゴを手から放すと落ちるねえ。このボールペンも、ほれ、手を放すと落ちるよ。どうして落ちるの?」
「ふーん、重いからでしょ」
「重かったらどうして落ちるの?」
「上から下へ、物は落ちるのよ」
ぼくは紙に大きな円を描く。
「これは地球です。ここが日本です」
円の線の一部に印を入れる。そこが日本。1センチほど離れた外側に米粒ほどのリンゴを描く。
「リンゴを落とします。リンゴは地面に落ちます」
円の外にあるリンゴが地表に落ちる。その跡を矢印で書く。
「日本の反対側にブラジルがあります。ここでもリンゴを落とします」
円の線のブラジルの位置から1センチ離してリンゴを描き、落ちた軌跡を矢印で書く。
日本で落としたリンゴの矢印の方向と、ブラジルのリンゴの矢印の方向は逆になっている。
「他の国でもリンゴを落とします」
円のあちこちでリンゴを落とす。
それらの矢印は全部地球の中心に向かっている。
「ほうれ、リンゴは全部地球に向かって落ちています。どうして?」
「落ちるということは、地球に引っぱられているからでしょう」
彼女は、アッと小さく叫んだ。
「そうだったのかあ。すごーい」
彼女は小学生のように感心した。
万有引力を知らない。彼女の学力のなかに陥没がある。
小中学校時代のなにかの原因で、基礎学力に陥没がある。陥没を埋めることなく、今に至り、今それを埋めている。
彼は、笑顔で無邪気に会話をする。
考える力がない子だとは思えない。文章の読解力はある。
ところが漢字をまったく書けない。漢字の知識が陥没している。
「それはね、こういう字だよ」
筆順から教える。彼は、ゆっくりペンを動かす。初めて漢字を書く子のように。ペンの動きは一画一画ゆっくりと、字形は幼い小学1年生のよう。
小学校時代に漢字を練習しなかったのか、小学校で習う漢字が書けず、読めず。やっぱりその陥没にも何かの原因がある。さらにその後の中学時代に、陥没状態を補完、補充することができなかったということのなかにも原因がある。
彼と会話をすればなかなか愉快だ。が、発語になめらかさがない。発音がねばねばする。
「人と話をしないので、口がスムーズに動かない」
と彼は言う。マンツーマンで、2時間、3時間、会話を交わしながら勉強したら、だいぶ口が動いた。
「どうして会話が少ないの? お父さん、お母さんと話をしないの?」
お父さんもお母さんも夜遅く帰ってくる、家でも話を交わすことがない、と彼は言う。
小学校で習う算数の学力が陥没したまま大人になった生徒。
彼はアルバイトでは、しっかりまじめに働いて収入も得ている。やさしく、穏やかな人柄だ。
「消費税が8パーセントになりました。20000円のものを買うと、いくら払いますか」
「お店で、3割引と書いてある靴の値段が2100円だった。もとの値段はいくらですか」
パーセントって何? 割合って何? 彼は文章を読むのはよくできる。が、掛け算、割り算、分数などの計算、小学校で学ぶ算数から後ができない。何かの原因で、算数・数学に陥没が起きた。中学校時代もそれを克服しないで通過して来た。
「ここにピザがあります。この円いピザを3人で分けます。同じ大きさです。ひとり3分の1です。この図を平等に切ってください」
生活の中に材料を見つけて、陥没した学力を取り戻す頭のトレーニング、学びの補完。
今それが理解できた。解く力を得た。彼の顔に喜びの色が浮かんだ。何よりうれしいのは自信をもてたことだ。彼は青年期に入って空洞を埋めている。
教師・学校が教え落としたものがある。
生徒の学び落したものがある。
その欠落がその後のつまづきを生む。
陥没を埋める。
陥没を埋めるために教える。
彼らは頭を働かせて学ぶ。
学んで発見する。
学んで喜びを得る。
学んで自信を獲得する。
学んで誇りをつかむ。