現代の孤独と小説「山椒魚」

 高校国語の教科書に、小説「山椒魚」(井伏鱒二)が載っている。川の中の狭い岩屋に閉じ込められた山椒魚の話だ。大正時代に元の作品「幽閉」が書かれ、改作されて1929年(昭和4)に「山椒魚」として発表された。
 この短編小説には大きな謎がある。昭和初期に発表され多くの読者と高い評価を得たこの作品が、56年後の1985年(昭和60)に、作者によって最後の段落が削除されたのである。なぜ?
 そのことについての研究が行われてきたであろうが、読者が作品そのものを読んで時代と人間を自分たちで考えることができる。生徒たちがみんなで話し合い、考えていくことができるならば、時代と人間の関係、そして自分自身の生き方を考えることができるだろう。
 ストーリィはこうである。
 川の中の岩屋に山椒魚は閉じ込められた。岩屋の出入り口が体の成長にともなって狭くなり、頭がコロップの栓になって水中の岩屋から出ることができなくなったのだ。山椒魚は何度も脱出を試みるがそれは徒労だった。
 「ああ神様! たった二年間ほど私がうっかりしていたのに、その罰として、一生涯私を閉じ込めてしまうとは横暴です。私は気が狂いそうです」
 閉じ込められた山椒魚は岩屋の出入り口から外を眺め、目を閉じてすすり泣いた。
 ある日、一匹の蛙が岩屋のなかに紛れ込んだ。その蛙は自由に泳ぎまわり、以前山椒魚が岩屋の出入り口の穴から眺めてうらやんだ蛙だった。山椒魚はいじわるな気持ちを抱いた。この蛙を一生ここに閉じ込めてやる、いつのまにか山椒魚にはよくない性質が芽生えていたのだ。そして蛙は岩屋に入ってきて閉じ込められた。外に出ることはできない。
山椒魚は蛙と口論する。両者はののしりあう。山椒魚は自分の不注意で閉じ込められ、蛙は山椒魚の悪意によって閉じ込められ、ばかにしあい、ののしりあい、冬が来て両者は鉱物にになり夏が来てまた生物となる。
 「おまえはばかだ」
 「おまえはばかだ」
 そしてまた一年がたった。
 ある日、岩のくぼみにいた蛙が深い嘆息をもらした。山椒魚はそれを聞いた。蛙を見る山椒魚の目にはもう悪意はなく、友情が芽生えていた。
 山椒魚は蛙に、岩のくぼみから降りてきてもいいぞ、と言う。
 「空腹で動けない」と蛙が言う。
 「もうだめなのか」
 「もうだめなようだ」
 「おまえは今、何を考えている?」
 「今でもべつにおまえのことを怒ってはいなんだ」

 こうしてこの小説は終わる。
 「山椒魚」が発表された時代(1929)は、日本が大戦争に向かう前夜だった。大陸に軍を送り、国内では国民に目を光らせる治安維持法が最高刑を死刑へと改定され、国民思想を統制する特別高等警察特高)が設置された。同じ年に「蟹工船」(小林多喜二)、「太陽のない街」(徳永直)、前年に「放浪記」(林芙美子)が発表されている。プロレタリア作家、小林多喜二は、それから4年後に特高警察によって拷問、虐殺された。「山椒魚」を読むとき、その時代背景が忍び寄るように感じられてくる。
 1985年(昭和60)に作者が削除したのは、最後の、和解と赦しの段落だった。そうすると自由を奪われた山椒魚は、自分よりも弱者の自由を奪い、岩屋の中で長い年月を、ののしりあい、憎み合い、生きる力をなえさせて終わることになる。結末は次の文である。
 「更に一年の月日が過ぎた。二個の鉱物は、再び二個の生物に変化した。けれど彼等は、今年の夏はお互い黙り込んで、そしてお互いに自分の嘆息が相手に聞こえないように注意してゐたのである。」
 「山椒魚」は、削除しない元のものが定着している。だが、井伏は何らかの考えがあって削除した。
 この二つを読み比べ、考えてみるといい。授業においては生徒たちが自分たちで考える。自分の生活や、社会を見つめながら考える。そういう授業にしたい。
 1985年(昭和60)の日本はバブル経済の時代、いじめ問題が深刻化し、「いじめ自殺元年」と言われた。そのころから、「不登校」「引きこもり」が深刻化していった。
 人間は国家によって守られもし、国家によって閉じ込められもしている。企業や学校など集団のなかに閉じ込められながらもそこに適応していく人もいれば、疎外され家に引きこもり家という狭い空間で、小さな自由を見出している人もいる。貧困や失業・無職という状況に閉ざされ、生活に苦しむ人も多い。
 結局現代は、和解や赦しにいたらず、弱者を切り捨て、格差に乗っかり、差別は根強く残っている。怒りはむなしく、絶望、あきらめにうめいている。
 閉じ込められた「山椒魚」は、閉じこもる運命に観念したのだろうか。