「第一回教育創造ミーティング」<5>


 黒沢川のほとりで行なわれている民間野外教育「どあい冒険くらぶ」のキャンプ地のすぐ下に河川敷の自然公園がある。この自然公園は旧三郷村時代に、三郷中学校の生徒たちが設計して、実際に労力のうえでも手伝って創られたものだと聞いている。特別なものは何もない。木立があり、ビオトープの小さな池があり、循環システムのトイレがある。ただそれだけ。トイレは、用を足した後、便は全部微生物が分解して土に返る。トイレを管理している業者に聞くと、設置されてから一度も便槽の中を取り出したことはなく、全部分解しているということだった。自然公園だから人工のものはなく、小鳥や虫たちのすみかになっている、落ち着いたのんびりした公園である。巨大な国営アルプス公園のように、資金を大量につぎ込んでつくられたものではないから、かえって味わいがある。初夏は新緑、秋になると谷の両側の森は紅葉し、草の園地は人間の心身に心地よい。中学生が公園作りにかかわったことは、すばらしい。一輪車を押し、スコップで土を掘り、生徒たちが汗を流したのかどうかは知らない。もしそうだとしたら価値ある実践だと思う。今も公園の整備と活用に生徒がたずさわっているのだろうか。
 公立学校は教師の転勤が数年ごとに行なわれる。それがため一時的に情熱的に取り組まれたユニークな実践も継続、継承されないで、消滅していくことが多い。伝統的活動実践が定着せず、長続きせず、学校の特色も生まれない。教職員で練りに練った理念と実践をもち、教師が入れ替わろうとも、バックボーンが崩れない学校づくりができないものか。昨日書いた灘中学の橋本先生の、細切れ教材の教科書ではなく3年間かけて『銀の匙』一冊を徹底的に読みこむ授業のような大胆なことができるのは転勤のない私学ならではだが、公立も考えなければ教育の本物のプロフェショナルは生まれない。
 「ミーティング」で話されたMさんも一員となっている学校の地域コーディネーターが、本気になって動けばおもしろいと思う。態勢をつくり、目的を持ち、協議を深めながら組織的に活動を始めたら、学校教育ももっと活性化してくるだろう。しかし今は何をしたらいいのか分からないでいる人が多いとのことだが、たとえば、
・A校では遊び名人が校庭に丸太を組んでアスレチック遊び場をつくっている。
・B校では野鳥の会の人が、野鳥観察を子どもたちと行なっている。
・C校では工芸の得意な人がワラや竹、木など自然素材を使って作品を子どもたちとつくっている。
・D校では養蚕経験のある人が子どもたちと蚕を飼い、絹糸をつむいで織物にしている。
・E校では校庭に木を植え、学校の森づくりをしている。
・F校では山羊の飼育を子どもたちとやっている。
・G校では児童が保育園へ出かけていって園児たちと定期的に遊んでいる。
・H校では学校農場をつくって、全クラスが自分たちの作りたいものを栽培している。
・I校では楽器をつくって演奏会を開いている。
・J校では市民が教室に入って本の読み聞かせをしている。
・K校では囲碁や将棋の校内チャンピオン大会を開いている。
・L校では読書大会をして読書感想文コンクールを行なっている。
・M校では昔の安曇野の暮らしをおじいちゃん、おばあちゃんから聞き取って発表会をしている。
・N校では発明発見をしてそれを校内大会で発表している。
 これら全市の学校のユニークな実践を発表する大会を行なう。
 などなど、やれたらいいなあと思うことはいくらでもある。こんなことがやれないだろうか。
 何より学校が門戸を開き、柔軟にならなければ市民は応えられない。学校は閉鎖社会になっている。さらにクラスはもうひとつ閉鎖社会になっている。市民の声はとどかない。入っていかない。
 学校が市民に要請する。それに応えて市民が学校に入っていく。そしてこれを全市で推進していく「安曇野学校市民コーディネーター会議」をつくる。
 こんな夢をぼくは抱いている。これまでずーっと持ちつづけている希望は、学校砂漠を学校の森にすることである。保育園も学校も決定的に広葉樹の大木が少ない。小鳥や昆虫が集まってくる学校林である。