「第一回教育創造ミーティング」<4>

 「ミーティング」で、本の読み聞かせや紙芝居をやりたいという人がいた。学校や地域で、それがもっと盛んに行なわれるといいなあと思う。さらに人形劇や演劇も含めて‥‥。ぼくの子ども時代には、紙芝居屋のおっちゃんが、自転車に紙芝居を積んでやってきた。街角に自転車を止め、カチカチ拍子木をたたいて子どもを集め、細い棒のような飴を売ってから紙芝居を演じた。
 テレビやパソコン、電子機器が生活に浸透して、子どもたちは読み聞かせや紙芝居にはどれほど関心を持つかと思われるが、案に相違して映像ではない実感に働きかける読み聞かせや紙芝居、人形劇など創作表現の活動の魅力は、むしろ高まっているように思う。ぼくはこれまでやれなかったけれど、子ども病院で、読み聞かせや紙芝居をやってみたいという願望がある。
 ぼくの小学校時代、子どもたちに慕われている先生がいた。その先生は物語の「お話」が上手で、とてもおもしろいということで評判だった。いろんな物語を話してくれる。子どもたちはそれを楽しみにしていて、担任になってほしいと思う子が多かった。ぼくの4年生のときの担任は松村先生という若い先生で、話術がすばらしく、怪談は身震いするほど恐ろしかった。学校にはそういう話術というか話芸というか、それが達者な先生がいると子どもたちは学校が楽しくなる。
 中勘助に、「銀の匙」という、明治時代を背景に自分の幼少時期を描いた作品がある。夏目漱石が激賞した。教育学者の山住正巳は、「教育のための想像力」(大月書店)という評論の中で、「『銀の匙』に教育改革の智恵を求める」という文章を書いている。
 灘中学の伝説の国語教師・橋本武は中学の3年間をかけて中勘助の『銀の匙』を1冊読み上げる国語授業を行ってきたことで有名になった。
 その「銀の匙」に登場する先生がいる。子どもたちが好きな先生で、先生はお話で子どもたちを魅了した。ある日、その先生がこんなことを言い出した。
 「きょうは先生のかわりに、みんながひとつずつ話をするのだ」
ここから「銀の匙」の文章。

 <(先生は)火鉢のそばへ椅子を引き寄せてあたりながら、なかで気の強そうなものや、ひょうきんな者を呼び出して、話をさせたことがあった。平生りっぱに一方のがき大将になり、愛嬌ものになっているものでも、教壇にたって四方八方から顔を見られると、頬がつれ舌がもつれて、何にも言えなくなってしまう。所という、ふだん人の馬にばかりなっている、のっぽな男がまっさきに呼び出されて、ひざがしらをがたがたふるわせながら、
「たびの話をします」
と言った。先生は、
 「なに、たびの話? こりゃおもしろそうだ」
と、油をかける。所はどもりどもり、
 「あっちから、たびが流れてきて、こっちからたびが流れていって、まんなかでぶつかって、たびたびごくろうです」
と言って、そこそこに引っ込んだ。そのつぎは吉沢という下歯が上歯にかぶさった正直者で、えへへ、えへへと、むやみに笑いながら、
 「やりの話をします」
と言った。先生は、
 「こんだは、やりの話か。これもおもしろかろう」
という。
 「あっちから、やりが流れてきて、こっちからやりが流れていって、まんなかでかちやって、やりやりごくろうです」
と言って、引っ込んだ。手軽な話はみんな人にされてしまって、私も内々小さくなっていたところ、運わるく最後に当てられた。話はおばさんに聞いて、いくらでも知っているけれど、みじかくて話しいいのがひとつもない。で、仕方なしに、「お皿を干されたかっぱの話」というのをやったが、話してみれば案外度胸がすわって、気になるお恵ちゃんのほうをちょいちょい見ながら、ぱつぽつと話し終わった。そうして、先生にお辞儀をして帰ろうとしたら、先生は、
 「おまいはなかなかつらの皮が厚いよ」
と言って、笑いながら頭を一つたたいた。それから女のほうの番になったが、机にしがみついていて誰一人出ないもので、一番から席順に呼び出されることになった。それでも出ないで泣き出すものさえある。で、おはちはとうとう五番目まで回っていった。お恵ちゃんは覚悟をしていたらしく、すなおに、
「はい」
と言って、教壇に立った。とはいえ、さすがにえりくびまで赤くなって、さしうつむいていたが、ややあって、夢心地に泳ぐような手つきをしながら、一言ずつ切れ切れに語り出したときには、私は心配と同情にはらはらして、まともに顔を見ることもしえなかった。けれどもだんだん話が進むにつれて、ぱっちりした目がしゃんとすわって、大人びたりりしい様子になり、その並びない澄みとおった声で、はきはきと順序よく話し続けたその話は、いつも私がきかせた初音のつづみの話であった。生徒らは思いのほか話し手の態度に魅せられ、めずらしくおもしろい話に引き込まれて、いつとはなしに、なりをしずめて聞いていた。話がすんだときに先生は、
 「きょうは男のほうはみんなよく話したのに、女はひとりも出なかったから負けのはずだったが、今の□□の話ひとつで女のほうが勝ちになった。先生は感心してしまった。」
と言った。女の子たちは思わずにこにこした。お恵ちゃんもさっと顔を赤らめて、伏目がちに自分の席に帰っていくのを、私はうれしいようなねたましいような不思議な気持ちで見送っていた。あの話は、お恵ちゃんにさせるのではなかったものを。>

 お恵ちゃんの話した「初音のつづみの話」というのは、作者勘助が自分を育ててきたおばさんから聞いた話で、その話をお恵ちゃんにいつも勘助が話してきかせていたから、「あの話は、お恵ちゃんにさせるのではなかったものを」と思ったのだった。
 山住正巳は、「『銀の匙』に教育改革の智恵を求める」の中で、「政治力学による教育改革をはねのける力を強めたい、『銀の匙』はそういう思いをもつ人々を静かに支えてくれているように思えてならない」と述べていた。