2011-01-01から1年間の記事一覧

 小説『羅生門』 <1> 平安時代の災害「地震、火災、暴風、飢饉」

すでにこの小説を読んでいる生徒も、マンガで読んだという生徒も何人かはいるが、読書に親しまないほとんどの生徒は『羅生門』を知らなかった。 読んだ生徒も、ストーリーは知っているが、時代や社会や人間を探索して読んではいない。 「映画の一つ一つのシ…

  91歳、野の道での話

野道をぽとぽと、ゆっくりゆっくりたよりなげに歩いてきて、畔や石の上に腰を下ろして休み、遠くの景色を見やってからまたぽとぽと歩き出す。 ときどき見かけるかなり高齢のおじいちゃんだった。 健康維持のためにウォークしておられるのだろうと、その脇を…

 落穂ひろい

フランスの画家ミレーに、「落穂拾い」という絵がある。 夕方、刈り取った後の麦畑で麦の穂を拾う三人の婦人、背後には積み上げられた麦の山がある。 三人は耕作している人ではなく、貧しい暮らしの人たちであった。 農民が収穫した後の畑に落ちている残りの…

 般若心経

大和の国の金剛山麓に住んでいた。 山に沿って旧高野街道がうねうねと村と田畑、林をぬうように続き、私の住んでいた集落は旧村のはずれにあって戸数は14戸だった。 秋の初めに地蔵盆があった。 隣の上田さん宅の敷地角をへこませて地蔵菩薩がまつられてお…

 草と虫

雨が三日間、降り続けている。 この夏、庭の草はぼうぼうと茂り、何度か引っこ抜いたけれど、またすぐに地表を覆いつくしてしまう。 勢いの強い草は、種を飛ばしていたるところに進出し、根茎で増える草は人間に遠慮なしに、つる草はつるを伸ばして這いまく…

 二十世紀に生きた人間たち

今は亡き、山尾三省が、『森羅万象の中へ』(山と渓谷社)のなかで、「ビッグストーン」というバンドのことを書いていた。 三省は屋久島に住んでいた。「ビッグストーン」は、その屋久島で演奏活動をしているウォークソングと称するバンドのことであった。 …

 今西錦司が野麦峠を越えたころの野麦村

今西錦司が信濃路から野麦峠を越えて飛騨の野麦の村に泊まる旅をした記録がある。 今西錦司は生物学者で登山家、探検家だった。 1932年、季節は秋。78年も前のことである。 白樺の高原の細い峠道を越えて谷の開けたところに来ると山村があり、村人はヒ…

 野麦峠と清水牧場のチーズ工房

旧野麦街道 清水牧場「チーズ工房」 野麦の山岳牧場へ行き、野麦峠に登ってきた。 お盆で息子の家族が帰ってきており、孫を含めた5人でのドライブだった。 松本から梓川沿いに奈川の村に入り、そこから野麦峠に車で上っていくと、明治時代、飛騨から岡谷の紡…

 社会を作る人間、社会を作れない人間

中国の元首相・周恩来の人生を、彼の家族や元側近らが語る、四日間の連続ドキュメンタリー番組がNHKで放送され、その録画ビデオを観た。 よくこれだけ取材し、率直に語らせたものだと、この力作に感銘を受けた。 一人の人間の生涯や一つの国の歴史をどれ…

 夏休みの子どもキャンプ・「どあい冒険クラブ」

山手の集落を抜けて上りきったところから、山林の間をカーブして下る道路になった。少し下ると左に分岐する山道があり、急角度に曲って下りていく道の入り口から下の様子をうかがうと、どう見ても沢の底に通じる山道で、人家があるように思えない。 だが、話…

 村の神社にまつわる葛藤

ランはキュウリが好きで、畑でとれた一本をやると、なんともいい音をたてて、ぱりぱり食べる。 居住地区の一まとまりを、この地では区と呼んでいる。この地に人が住みつき、村を形成してきた小集団がもとになっている。住民自治会であるが、行政が情報を発信…

 安曇野キャンプをつくった人々

昨夜はキャンプファイアーだった。 小学校の先生をしている加藤さんがプランを立て、地元高校生が進行役をやってくれた。やっぱり若い力だ。五人の女子高生相手に、加藤さんはてきぱき説明をし、準備を整え、ファイアーは盛り上がった。 ひげの大将、等々力…

 南相馬の子どもたちが来た

巨大な柱や梁の黒光りする、壮大な伝統和風建築の民宿だった。 万水川を背にどっしり建つ旅館「ごほーでん」、南相馬の子どもたちの5日間の宿舎だ。 ここからはワサビ田も近いし、犀川もすぐそこにある。 引率・付き添いを含めた35人は、一日バスに揺られ…

 福島・南相馬の子どもたちが来る

8月1日、福島県の南相馬から、子どもたちが安曇野にやってくる。 安曇野市社会福祉協議会が受け入れるキャンプだ。 その準備が続いており、昨日はキャンプファイアーの企画を立てた。 地元の豊科高校と南農高校ボランティアクラブの生徒7人がキャンプファ…

 新聞記事の主観と客観

]「みなさんは、新聞を読みますか。」 生徒たちに質問してみると、読まないという生徒がぱらぱらと手を挙げた。 「新聞やテレビ、インターネットのニュースで、みなさんは情報を得ていますね。そのニュースは事実を伝えているものでしょうか。昨日の新聞で検…

 『国連軍縮会議IN松本』 記念講演と平和祈念コンサート

志を持って実現に動く人がいて、歴史の歯車が回る。 安曇野市の隣、松本市で、国連の国際会議が開かれる。 期間は7月27日から29日まで、テーマは「核兵器のない世界に向けた緊急の共同行動」。 この会議にともなって企画された催しは、市主催のもの、市…

  枕草子「森は」

「雷三日」、そのとおりの三日間だった。入道雲は絶大な威力を発揮すべく、宇宙を背にして東の空高々と威嚇し、雷鳴がとどろいた。 枕草子の中に、一つの主題で、おもしろいもの、風情のあるものを並べ立てる文章がある。「づくしもの」である。 「木は桂。…

ヘクソカズラなんて名前をつけられて、そんなに臭いかね。今朝、公園の掃除、草とり、住民たちが総出で一時間汗をかいた。ヘクソカズラが生垣をおおっていて、それを鎌で取り去る。どかどか汗が滴り落ちた。 万水川がNHKの朝ドラ「おひさま」によく登場す…

 松本治一郎と松本龍

震災復興の大臣に任命されながら、とんでもない発言で辞任した松本龍が、実は松本治一郎の養孫だったいう新聞記事を読んで、 思わず「えーっ」と叫んでしまった。 そうだったのか。 松本治一郎は、『不可侵 不可被侵(侵すべからず、侵さるべからず)』を信…

昭和18年、戦時の槍ヶ岳登頂

日本野鳥の会の創始者であり詩人であった中西悟堂は、前年に続く昭和18年(1943年)7月には烏帽子岳から槍ヶ岳を経て大滝山まで縦走している。 戦況は悪化の一途をたどり、日本は次第に追いこまれていた。 昭和17年4月、米軍機は、京浜、名古屋、四日市、神…

 シジュウカラの死

朝、食事をしていたら、ゴトンと軽く何かがガラス窓にぶつかる音がした。 「また、小鳥。」 「小鳥がぶつかった?」 「これで三回目ね。」 「なんで、ぶつかるんやろ。ヤマボウシの樹が大きくなって、それがガラスに映って、こっちにも樹があると思うんかな…

 菅下ろしと報道のなかに潜むもの

声の欄に、こんな投書が掲載されていた。 Aさんの投書。要旨は、 「私は、菅さんの顔は見たくない。理由は、大震災や原発事故の対応のまずさ、危機管理力のなさもあるが、それだけでなく国民の暮らしが第一というキャッチフレーズを掲げながら、それとはか…

 「国民運動」が動かないのはなぜなのか

ことここに至って、なぜ日本で反原発・脱原発の、国を揺るがす大衆的な国民運動が起こらないのだろう。 「原発」という語をはじめて聞いたのは1970年代に入ってからのこと、教職員組合主催の教育研究会での議論を記憶している。 原発はあぶない、原子力の平…

 日本人はチェルノブイリから何を学んだのか

ベラルーシの病院でチェルノブイリ原発における事故放射能障害への医療活動を行なっていた菅谷医師(現・松本市長)は、 日記の1999年の10月1日にこんなことを書いている。 「東海村のウラン燃料加工施設で臨界事故が発生したとの情報が、日本の知人から知ら…

今年初めてのトンボと、桑の実摘み

雨一降りすると草は一挙にぼうぼうと競うように生える。 草刈り機であぜを刈った。 そこは私の土地ではないが、我が家に連接しているタマネギの種取りをする専業農家、Kさんの畑の土手、 土手は傾斜が強いし、Kさんは私よりお年だから、この30メートルほ…

 セミが鳴いていた

わずか5分ほど、田園地帯から車で上ってきただけなのに、世界はすっかり変わっていた。 蝉が鳴いている。森の中から、たくさんの蝉の声が降ってくる。 福島の子どもキャンプに、6日間部屋を予約してあったから、社会福祉協議会の樋口事務局長はすでに、そ…

 再びゼロ地点

シンさんの意見は、ぼくをほっとさせるものがあった。 ぼくは、福島の「子どもを放射能から守る福島ネットワーク」と連絡を取りながら「福島の子ども安曇野キャンプ」を企画してきた。 ところが途中の段階から、安曇野の条件は福島のニーズに合わないという…

 苦悩する心を安らかに

精神的なダメージを受けたとき、苦悩にうちひしがれそうなとき、 漠然と樹を眺めるのがいい。 頭をカラッポにして眺める。 樹々は何も語らない。ぼくも何も考えない。 と、心が静かに、落ち着いてくる。何かが心に湧いてくる。 ヤマボウシの白い花が咲いてい…

 菅谷医師の生き方、チェルノブイリとフクシマから未来を

松本市の菅谷市長は、元信州大学の医師であった。チェルノブイリ原子力発電所が1986年4月26日に事故を起こしてから10年後、菅谷は信大助教授の職を退いてベラルーシに渡った。 それから5年半、菅谷医師は、ベラルーシ共和国に滞在して、放射能がも…

 樹木の持つエネルギー、樹のいやし

神社を通り抜けて、山のほうに登っていく。 林業会社の材木置き場に来ると、伐採されて玉切りされた大きなケヤキの木が置かれていた。 その太さは、大臼を作れそうなほどだ。 どうしてこんな木を切ってしまうのか、どうして残せないのだろうか。 クルミの大…