二十世紀に生きた人間たち

今は亡き、山尾三省が、『森羅万象の中へ』(山と渓谷社)のなかで、「ビッグストーン」というバンドのことを書いていた。
三省は屋久島に住んでいた。「ビッグストーン」は、その屋久島で演奏活動をしているウォークソングと称するバンドのことであった。
「ビッグストーン」は、アルバム「晴耕雨読」のなかに、長井三郎作詞、本村忠寛作曲の「二十世紀に生きた人間たち」を収めている。



   今私たちの生きているこの時代が
   やがて「過去」と呼ばれるとき
   私たちは未来のあなたたちから
   何と呼ばれるのだろう


   地球をこんなに駄目にしたのは
   二十世紀を生きたあの人たちです


   山を滅ぼし 川を滅ぼし
   海を滅ぼし 空を滅ぼし
   私たちに大きな重荷を背負わせた
   二十世紀に生きた人間たち


   今私たちの生きているこの時代が
   やがて「未来」になるのだから
   私たちは自分で自分の首を   
   絞め続けてるのだろう


   未来をそんなに駄目にしたのは
   二十世紀を生きた私たちです
   便利さのために 快適さのために
   欲望のために 人間のために
   地球に大きな重荷を背負わせた
   二十世紀に生きた人間たち

  
   山を滅ぼし 川を滅ぼし
   海を滅ぼし 空を滅ぼし
   私たちに大きな重荷を背負わせた
   二十世紀に生きた人間たち
       
   地球に大きな重荷を背負わせた
   二十世紀に生きた人間たち



「二十世紀を生きた人間たち」、さらにそれは二十一世紀を生きた人間たちへと続くのであろうか。
三省は、この歌詞を紹介した後に、こんなことを書いている。

「ぼくがひどく感動したのは、その曲が歌い終えられた後に、アドリブ的にささやくように付け加えられたひとことの言葉であった。ヴォーカルが消え演奏も終えたその後にひとこと、
『よかとこ行けよ!』
というセリフが、島ことばそのもので呼びかけられてあったのである。」


作詞者の長井氏によれば、『よかとこ行けよ!』というのは、死んだ人を送り出すときの島言葉であり、その語り口は、二十一世紀に新たな一歩を踏み出す者たちへの詫びと励ましが込められているという。
そして三省は述べる。
「同じ島に住むもののひとりとして、また心ならずも先進国ニッポンの社会に住むもののひとりとして、その嘆息ともつかぬ深い思いを共有せずにはおれない。」
三省は、重症ガンを患い、その治療のために島を離れていたが、西洋医学による治療をすっきりあきらめて島の自分の家に帰ってきていた。
ガンは、手術も出来ないほどの状態になっていた。それでも、毎日時間を見つけては、島を散歩した。
十二月、神社の石段の脇にツワブキの花が咲いていた。
それはなんとも幸先(さいさき)よく思われ、三省に元気を与えてくれた。神社の岩窟の奥まで進むと、三省はそこにまつられた小さな祠(ほこら)にパンパンと柏手(かしわで)をうち、祝詞(のりと)をとなえる。
はらいたまえ、清めたまえ、奇(くす)しみたまえ、幸(さきわ)えたまえ」


そのことについて三省は、
「ことばというものは、それ自体に強靭な力を秘めていて、心からそのように唱えるならば、その瞬間に心身は確かに救われ、清められ、奇(くす)しまれ、幸(さきわ)えられるのである。うそだと思うならば、いつかご自分で試してごらんなざい。
病気だとかガンだとか、あいつが憎いとか仕事がうまくいかないとか、自分の性格がよいとか悪いとか、そんなつまらぬことを思っているひまはないのである。
パンパンと元気よく柏手を打って、その音が岩天井に響くのを心地よく聞いてもどってくれば、そこにその時のじつに心地よいぼくという永遠の一瞬がある。」

と告げた。
地質学では、その岩窟の岩は、6500万年以上も前の海底の堆積岩であり、そのとき、三省はいとおしい生の一瞬を生きていることを実感する。無常に大切なことは、その一瞬を生きることをおいてほかにはないのだ、と。


先日、重篤のガンをぼくに告げた我が友は、電話の向こうで、今、古典文学大系のなかの「祝詞」を読んでいると言った。そうして心の平安を祈りによって得ていると。
彼は三省のこの本を8年ほど前に我が家からもって帰って読んだ。
それから「よかとこ 行けよ」という言葉を、互いのFAXや手紙のやりとりの最後に付け加えることがあった。
いずれみんな「よかとこ」へ行く。
ぼくは、これまでも家族が病の中にあったとき、自然に心が向いてそうしてきたように、ランとの朝の散歩の脚を鎮守の杜に向け、柏手をうって友の快癒を祈る。
それを百度続ける。