『国連軍縮会議IN松本』 記念講演と平和祈念コンサート


志を持って実現に動く人がいて、歴史の歯車が回る。
安曇野市の隣、松本市で、国連の国際会議が開かれる。
期間は7月27日から29日まで、テーマは「核兵器のない世界に向けた緊急の共同行動」。
この会議にともなって企画された催しは、市主催のもの、市民主催のもの、実に多様で多彩である。
その一つが、バルカンのコソボで活躍しているオーケストラ指揮者、柳澤寿男の講演とコンサートだった。
視聴を希望し、23日(土)の午後、招待券をいただいて夫婦で参加した。


柳澤氏は、下諏訪出身の音楽家だ。
彼は、旧ユーゴスラビアの内戦を経て、七つの国が独立していった、あの崩壊のるつぼであるバルカンに入り、
焦土の中で深い傷を負った人たちに、民族対立を超えよう、つながっていこうと、音楽でもって平和を打ち立てる活動を行なった。
兵器ではなく楽器を持とう、
バルカン室内管弦楽団コソボフィルハーモニー交響楽団など、指揮者として柳澤は活躍する。


23日の会場は、初め予定されていたコンサートホールが、先日の松本直下の地震による被害で開催ができなくなり、
急遽浅間温泉のホールに変更され、設備の充分でない会場での講演と演奏会だった。
講演のテーマは「バルカンの火薬庫から音楽の咲き乱れる半島へ」。


内線が収まり、コソボフィルハーモニーが演奏したのは、ベートーベンの交響楽第7番だった。
演奏が終わったとき、一人の楽団員が語ったエピソードにぼくは再び感動する。
その楽団員は内戦が燃え盛っていたとき、楽器を捨てて銃を持つと言っていた人だった。
音楽の力の大きさ、銃を持つのではなく自分は楽器を持とう、演奏を通して楽団員の心が変化したのだった。


柳澤は、自分の撮影してきたコソボの写真を映しながら話した。
一日のうち三分の一が停電し、断水していた。自分の住んでいたミトロピッツァという町には、川が流れ、そこに橋が架かっている。
川の南にはアルバニア人が住み、北にはセルビア人が住んでいた。
しかし、内戦後その橋を渡る人がいない、それは今も続いている。
憎悪と怨念の融け去る日よ、早く来い。
尊敬と友情の生まれる日よ、早く来い。


祈念コンサートの最初は、東京交響楽団員によるショスタコーヴィッチの弦楽四重奏第八番。
柳澤の詳しい解説が入った。
曲には「ファシズムと戦争の犠牲者に捧ぐ」という副題がついている。
平和的な美しい調べの合間に、
ドン ドン ドン、とドアをノックするような演奏が、間隔をおいて入る。
それは、銃を持ってドアを開けて入ってくる恐ろしい兵士を暗示する。
バルカンで、その恐怖の体験をしてきた演奏家は、この曲を弾くことが出来なかった。
平和を思わせる美しい調べと、恐怖の調べ。


コンサート最後に、SK親子合唱団が歌った。
SKって何?
ああ、そうか「サイトウキネン」の頭文字か。
岩河智子作詞作曲の「ありがとうございました(感謝の歌)」の混声合唱
ただ、「ありがとう」の言葉の繰り返しによって構成されている曲。
「ありがとうございました。ありがとう。ありがとう。
ありがとうございました。ありがとう。ありがとう。」
メロディを変えて、続いていく。
そして途中に、各国の民族の言葉で「ありがとう」と歌われる。
美しい合唱だった。
小学生、中学生、高校生、青年、成年のさわやかな、豊かな合唱だった。
涙が出た。