安曇野キャンプをつくった人々





昨夜はキャンプファイアーだった。
小学校の先生をしている加藤さんがプランを立て、地元高校生が進行役をやってくれた。やっぱり若い力だ。五人の女子高生相手に、加藤さんはてきぱき説明をし、準備を整え、ファイアーは盛り上がった。
ひげの大将、等々力さんは薪とトーチの準備をし、ファイアーの前に食べる夕食のご飯も、等々力さんが「ヌカクド」を二つ用意して、炊いてくれた。
「ヌカクド」は、モミガラで焚くかまど、
「エコと今は言うけれど、こういうのは昔は当たり前だったんだ。エコが当たり前、それを現代は失ってきたんですよ。」
と等々力さん。
だるまストーブのように縦型で鉄製の「ヌカクド」にモミガラを入れると、火がトロトロ燃えて、時間をかけて釜のなかのご飯がふっくらと炊ける。燃えた後のモミガラは「くん炭」として、よい肥料になる。
できあがったご飯で、手伝いに来てくれていたお母さんたちがおにぎりを作ってくれた。このおにぎりの、おいしさよ。
甲斐甲斐しく動く等々力さんのTシャツの背中に「不屈の精神」と書いてある。キャンプファイアーと食事の準備の一端を引き受けて、ひとり黙々と作業してくれている。そこに猿田さんが飛び入りしてくれた。
午前中は、犀川の白鳥の池でカヌーに子どもたちは乗った。その段取りも等々力さんが行なった。
はじめて子どもたちは、冬になると白鳥やカモが来る湧水池で、インストラクターの指導のもとに、ひとり一艘のカヌーをこいで水の上を遊んだ。
そのお世話と見守りに猿田さんが来て、カヌーを運んだり、子どもたちに声をかけたりして、さらに夕方またキャンプファイアーと夕食の準備手伝いに来て、必要としているところを見ては腰軽くはいって動いてくれたのだった。数日前に、「猿田先生よ、来てくれんかね。」と声をかけただけで、二つ返事でやってきてくれた身の動きにぼくは大いに感激した。
キャンプファイアーの最初、森の火をたいまつに灯して林の中から現れる森の神様役にぼくは扮することになっていたから、三日前からその仮装の準備をした。緑色の古カーテンを衣装に、毛糸を使って作ったヒゲぼうぼう、とんがり帽子、この森の神変装で、たいまつをもって林の中から出て行く。子どもたちは、不思議な格好の神様に目を丸くしていた。
子どもたち全員が持つたいまつに、ぼくは「希望の火」と称して、火を移す。「希望の火」は、次々とリレーされ、全員のトーチに火がついた。
そこから歌、ゲーム、ダンス、あたりはすっかり暗くなった。
キャンプファイアーが火を落としたら、花火大会。大人も子どもも、手に持った花火に点火、暗闇に広がる火の花。


安曇野キャンプ、社会福祉協議会の職員の皆さんとともに、たくさんの市民ボランティがかかわってつくりあげた。
昼食、夕食を作ってくれた人たちがいた。
一昨日は、三郷中学校の三年生が交流会を開き、「よさこいソーラン」を踊った。
望さんや、ふまさんらのジャグバンドのグループは、「安曇野賛歌」を歌い演奏してくれた。


今朝子どもたちは元気に福島に帰っていった。
ファイアーのとき、ぼくに「森の神様、どこから来たの」と言っていた小さな男の子が、バスの中から「森の神様また来るよ。ありがとう。」と叫んで出発していった。