落穂ひろい


フランスの画家ミレーに、「落穂拾い」という絵がある。
夕方、刈り取った後の麦畑で麦の穂を拾う三人の婦人、背後には積み上げられた麦の山がある。
三人は耕作している人ではなく、貧しい暮らしの人たちであった。
農民が収穫した後の畑に落ちている残りの穂は、貧しい人たちに頒かつ、キリスト者の生き方がそこにある。
旧約聖書に定められた律法では、麦の落穂拾いは、自らの労働で十分な収穫を得ることのできない人たちが命をつなぐための権利として認められた慣行で、畑の持ち主が落穂を残さず回収することは戒められていた。
落穂拾いの絵は、1857年に描かれている。


この落穂ひろいについて、宇根豊が「地域の再生21 百姓学宣言  経済を中心にしない生き方」(農文協)のなかで書いている。
現在のコンバインでの収穫では、落ちもみが1平方メートルに約1000粒、約10グラムになる。コンバインは、田んぼに入って、機械が刈り取り、モミだけを分離し、ワラをくだいて田んぼに落とす。
あるとき、宇根さんが93歳の老農夫と話していて、飛び上がるほど驚いたというのだ。
宇根さんが、「昔は落穂拾いはどうしていたのですか」と聞くと、
「落穂拾いは百姓はしてはいけないというのがしきたりだった」
と答えた。
「稲刈りが終わりかけると、もうあぜには袋をもった人たちが待っていて、私たちが引き上げるとさっと田んぼに入って、拾い始めた」
という。
落穂も田んぼの耕作者の所有物であり、無断で拾ったら盗みになるというような考えはそこにはなかった。


「かつて米は、天地からの恵みだった。百姓はけっして『米をつくる』とは言わず、
『とれる』『できる』と言っていた。
人間が主役ではなく、百姓はめぐみを受け取るのである。
百姓だけが独占的に受け取るのではなく、貧しい人たちと天地のめぐみを分かち合っていたのである。
実にキリスト教の精神と似ている。
コンバインによる稲の収穫技術にはそれがない。
さらに、落穂というめぐみは、人間以外にも分けられている。
白鳥、ガン、鶴が越冬のためにやってくるのは、みな日本の水田地帯である。
田んぼの落穂が最大の食べ物なのだ。
もし日本の田んぼがなかったら、これほどの鳥たちが越冬することはなかっただろう。
1羽のガンが食べるモミは1日に100グラムだとすると、1日に約10平方メートルの田んぼが必要になる。10アール(約1反歩弱)で約100日分の食べ物がガンのために、めぐみとして提供されているということになる。
早生の株から出てくるひこばえを加えると、20から100キログラムの米が加わるので、その量はかなりのものになるだろう。
これは自然の恵みだった。」


自然のめぐみを分け合っていたのだ。
なるほど米はこういう自然観、世界観によってつくられてきたのかと思う。
ヨーロッパの落穂ひろいがキリスト教の世界観であるら、日本の落穂拾いは、人間の生を守る自然界に神をみる世界観であったといえるのではないか。
そしてまたすべてに仏性が宿るとするほとけの世界観からであったのではないか。
耕作する土地は、地球の一部、自然界の一部。
宇宙、地球、自然界はだれのものでもない。
家族が生きることができ、みんなが生きることができる、そのために土地をお借りし、そのために耕作している。
その精神は今、機械化、効率化、経済化、資本化によって変質してしまった。