樹木の持つエネルギー、樹のいやし


神社を通り抜けて、山のほうに登っていく。
林業会社の材木置き場に来ると、伐採されて玉切りされた大きなケヤキの木が置かれていた。
その太さは、大臼を作れそうなほどだ。
どうしてこんな木を切ってしまうのか、どうして残せないのだろうか。
クルミの大木が切り倒されたという悲鳴も聞いた。
桜が伐られた。
クヌギが倒された。
安曇野から大木がなくなっていく。
樹齢数百年という巨木はもう見られない。
開拓・開墾や建築用地の造成という人間の生活行為は、邪魔になるものを取り除くことで拡大されてきた。
今の必要性とこれからの生活とが、優先された。
人間が生きるために必要となる、自然の中での調和のとれた生き方は影をひそませた。


暮らしの中の樹の価値が軽んじられている。
樹はあっても、さらりと眺め、その前を過ぎ去るだけ。
樹に触れることをしない。
樹肌に耳をつけて木の声を聞くこともない。
樹と向かい合う、樹と会話する、
樹に寄り添う、樹の根方に座る、樹を抱きかかえる、
樹のエネルギーを感じ取る、
樹の力を身体に取りこむ。
そういう樹と交流をすることのない現代の暮らし。


パトリス・ブーシャルドンが「THE HEALING ENERGIES OF TREES」(木のヒーリング)という本を著している。
フランスの山岳地帯の山小屋に住んで、樹と交流する暮らしをした男の記録だ。どうすれば樹のエネルギーを得られるか、その方法も書かれている。
彼の発見した樹のエネルギーのいくつかをここに紹介してみる。


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樅(モミ)の木には、心の柔らかさとリラクゼーションを促すエネルギーがあります。流れが止まったり、循環が悪い箇所に、スムーズにエネルギーを流れるようにしてくれます。強い感情が湧き上がり、激情に押しつぶされそうになったとき、呼吸の流れを楽しにしてくれます。


胡桃(クルミ)の木には、自立のエネルギーがあります。自分自身のリズムに従うように促してくれるために、自律が進み、責任感が強まります。真の自律は内側から出てくるものであり、自分を直視できるようになって、ようやく手が届くものです。自分本来の姿を見つめれば、内なる自由が生み出され、自分の中にもうひとつの自分、ハイヤーセルフ(高次の霊的自我)に出会います。


サンザシの木は、調節のエネルギーをもっています。流行や社会によってつくられた鋳型に自分をはめ込もうとして、自分の体と連絡を絶っているとき、魂のすみかである自分の体について、多くのことを教えてくれます。くつろぎを感じる助けになり、間違った方向に引っ張られているように感じとったとき、再び自分自身に立ち返って、正しい場所を見つけるために手伝ってくれます。


エニシダには、新たなスタートをきらなければならなくなったとき、変化に適応する再生のエネルギーがあります。大事な人を亡くしたとき、エニシダは、悲しみから解放するエネルギーを放出して助けてくれます。


ブナは、私たちを脅かす、さまざまな恐怖から解放してくれます。自信の回復に力を貸し、平静な心を呼び覚ましてくれます。物事を決定したり、意見をまとめたりできるまで心をしずめてくれます。弱さから来る症状をブナはいやしてくれます。


樺(カバ)の木には、調和のエネルギーがあり、優しさという性質もあって、ショック状態の手当てにも利用できます。ストレスが引き起こす緊張や恐れ、怒りと折り合いをつけ、内面を平和な状態にしてくれる助けとなります。痛みも和らげてくれます。自分の気持ちを静めることで、人と穏やかに接する余裕を生み出してくれます。


松(マツ)は、光を引き寄せ、自らの生命力と生命のつながりを再発見させてくれます。松のエネルギーは、人間の内面に生命の火があることを思い起こさせてくれます。自分の限界が妨害したり、制限したりしても、この生命の流れは止めることが出来ません。


バラの野生種、ワイルドローズは、オープンになるというメッセージを発しています。人は思い込みにしばられがち、閉鎖的になりがちです。ワイルドローズは、自分自身に対する思い込みから心を解き放し、違った視点を得る助けとなってくれます。自覚をうながし、支えてくれ、自分を開放的にしてくれます。


柘植(ツゲ)の木のエネルギーは、「継続」と「解放」です。自信をなくすのは、濁ったエネルギーをためてしまうからです。未解決になっている過去の体験が、慢性病になって現れることがあります。ツゲは自分を過去から解放し、障害物を取り去ってくれる力になります。固定観念にとらわれ、自分を妨げる思考パターンに動かされ、仕事、人間関係、金銭問題などで失敗を繰り返すとき、ツゲはその力から解放する助けになってくれます。