枕草子「森は」

「雷三日」、そのとおりの三日間だった。入道雲は絶大な威力を発揮すべく、宇宙を背にして東の空高々と威嚇し、雷鳴がとどろいた。



枕草子の中に、一つの主題で、おもしろいもの、風情のあるものを並べ立てる文章がある。「づくしもの」である。
「木は桂。」として、いちばんに桂の樹を上げている。なるほど、安曇野の大王ワサビ田に桂の数本の並木があり、その姿に惚れて、ぼくも一本の桂の苗を庭に植えた。ハート型の葉がかわいい。秋になればみごとな黄葉が楽しめるので、早く大きくなってほしい。
上高地の徳沢園には、桂の大木がある。この樹は、秋に黄葉がみごとになり、とある朝、氷点下の日が訪れると、葉は一斉に落下して黄色のじゅうたんを敷き詰めるということを知ったのも、桂に憧れる原因になった。
我が家の庭に植えた桂の苗木は、生長がいちじるしい。
ところがこの地は風の国、強風が吹きつのった日に、主枝が上のほうでぽきりと折られてしまった。
こんなにさくい木とは思わなかった。そういうこともあるけれど、失望はしない。枝振りを整えたり周りの土をよくしたりして、みごとな成木になれよと、声をかけている。


枕草子の中に、「森は」という段がある。

「森は、大あらきの森。しのびの森。ここひの森。木枯らしの森。信太の森。生田の森。木幡(こはた)の森。いつ木の森。きく田の森。岩瀬の森。立ち聞きの森。常盤の森。くろつぎの森。甘南備の森。うたたねの森。うきたの森。うへつきの森。いはたの森。たれその森。かそたての森。かうたての森といふが耳とまるこそ、まづあやしけれ。森などといふべくもあらず、ただ一木あるを、何事につけたるぞ。」

という具合に、21の森の名前を挙げ、このような森の名前が耳に止まるのは妙なものだと清少納言はいう。
そして、「森などといえるはずもなく、ただ木が一本だけあるのを、何につけて森と言うのだろうか。」と結んでいる。

清少納言が書いたのは、千年も昔の平安時代である。
当時、日本の人口は1000万人もなく、数百万人であったろうということだから、人間の集落はわずかであり、全国いたるところが山と森の国であった。
それにもかかわらず、森と名づけるようなところがあり、そのなかにはすでに森はなく、木が一本あるだけというところもあるというのだから、当時も人間は営々と山や森に入って、開拓開墾を続けていたのだろう。
日本の人口が2000万人を超えるのは、江戸時代の慶長期であり、4000万を越すのは明治になってからである。
文明と人類の繁栄・発展にともなって森が喪失する、この反比例は、結局は人類そのものの終末を歴史は示唆しているようだ。 


枕草子の21の森のなかで、ぼくが知っているのは、「信太の森」「甘南備の森」の二つだけである。前者は大阪、後者は奈良の斑鳩にある森の名前だが、森そのものはなくなってしまって、伝説や記録に残っているだけである。、「信太の森」には、キツネの伝説があり、以前そこには大阪市の教育キャンプ場があった。戦時中は大規模な練兵場だった。
「甘南備の森」の名は、薄田泣菫の詩「ああ、大和にしあらましかば」に出てきたことで知り、家庭を持ってからその近くに住んだことで、森の喪失をこの眼で見ている。


子どもたちだけでなく、大人も、もっと森に親しみ、森の価値を知り、森の復活を考えるようになってほしいものだと思う。
現代人は、森にある木の名前を、どれだけ知っているだろうか。いくつ言えるだろうか。
樹の名をどれだけ知っているか、そのことでも自然環境への関心がうかがえる。
枕草子のなかで、「木は」「草は」「花は」「山は」「鳥は」「星は」など、いくつも主題を変えて出てくる。
自然を知り、昔の人の生き方、考え方を学ぶ授業をやってみるのもおもしろい。
そういうオリジナルな授業の中に魂がこもる。
今年は、「国際森林年」である。