村の神社にまつわる葛藤

 ランはキュウリが好きで、畑でとれた一本をやると、なんともいい音をたてて、ぱりぱり食べる。



居住地区の一まとまりを、この地では区と呼んでいる。この地に人が住みつき、村を形成してきた小集団がもとになっている。住民自治会であるが、行政が情報を発信し、政策を実施していく場合に、区長会を通じてこの区の組織が使われる。我が区は170世帯ほどある。
区長は住民の選挙で選ばれる。
日曜日に、今年の前期の区費の徴収があった。同時に、区の神社の神社費の徴収が、並行して神社の氏子代表によって行なわれた。
われら夫婦がこの地に移住して5年がたったが、この間に一つの課題であった神社費について、自分の考えるところを文章化して、氏子代表者と区長に徴収会場である公民館でお渡しした。
部屋に並べられた机に、まず区長二人が並んでおられ、そこで区費を支払い、続いて二人の氏子代表がおられて、そこで神社費を支払った。
この区の総会では率直に意見が出されているから、自分も率直に意見を出そうと思い、前回の総会では、この区の名所、桜並木の大剪定について意見を述べた。今日は、神社費について意見を提出させていただくと述べて、次のような文章を提出した。


<     神社について考えてきたこと そして提案


 5年前、この地に転居して来た年、区費と神社費のセット徴収があり、深く考えず、よく分からぬままに両方を支払いました。
 そしてある日、回覧板が回ってきて、それに神社の清掃作業の通知があり、道具を持って出かけました。実はその清掃は自分の隣組は当番ではなかったと後で分かったのですが、その時は何もわからず諏訪神社の位置も確かめないで出かけたのです。いつも散歩しているコースの中にある穂高諏訪神社が区の神社だと思い、鍬と竹箒をかついで歩いていくと、畑にいた顔なじみのおばさんが、けげんな顔をしています。
諏訪神社の掃除に行きます。」
と私が言うと、
「堀金の諏訪神社はこっちじゃないですよ。」
と答えて、私の行こうとしていた諏訪神社穂高地区の神社であることを教えてくれました。おばさんは、堀金の諏訪神社は大きな工場(ゴールドパック)の向こうにあると指さします。私はすっかり勘違いしていたことがわかり、結局その日は行くことをやめました。
 しばらくして、市役所堀金支所へ行く途中、諏訪神社を見つけました。ははあ、これがおばさんの言っていた諏訪神社なんだ、と思いました。次の間違いです。その後四年間、私は上堀地区の諏訪神社扇町地区の諏訪神社だと思っていました。
 私は神社の氏子になることについて次のようなことを考えました。
 <諏訪神社はこんなに我が家から離れている。この神社が扇町の神社だと感じられず、自分のなかに氏子意識も湧いてこない。信仰心もない。それでも神社費を出す必要があるのだろうか。奈良にいた時は、住んでいた村にも鎮守の神があり、秋に祭りもあったけれど、そこに住めば村社の氏子になるということはなく、住民自治会とは完全に分離されていた。自分の信仰ということでは、自分は特定宗教の信者ではなく、大和のお寺を巡り歩いて、たくさんの仏像に出会い、仏への信仰もあった。そしてまた青年時代にキリスト教の影響も受け、エルサレムベツレヘムなどを訪れた。にもかかわらず、正月になると神社へもお参りしてきた。そういう一般的な日本人の宗教観だった。とやかく思わず、「郷に入れば郷に従え」ということもあるが、信仰心は湧いてこないのに諏訪神社の氏子になる気にならない。だから、しばらく自分の気持ちが熟すまで神社の氏子になることはやめよう。>
 そう考えて、納得できるまで神社費を払わないことに決めていました。
 それでも、毎年区費を払う日が来ると、気分がすっきりしません。公民館の同じ部屋に机を並べて徴収する役員の方たちに気を使います。同じ地域に住み共に生きる区民ですから気にもなります。しかしまた、いろいろな考えの尊重される現代社会で、意に添わないままに右にならえすればいいということは民主主義に反することです。この4年間はそういう葛藤状態でした。
 今年の正月でした。息子たち家族とぶらぶら散歩しながら、下堀にも神社があるから、一度行ってみようと、初詣をかねて出かけました。そして行ってみて、分かったのです。拝殿のところに扇町の名前が書いてあったのです。扇町の神社はここだったのか。5年目にやっと神社のありかが分かったというわけです。なんとものんきなものです。
 今年の春、神社の祭りの寄付を集めに来た人がいました。その人に、私はこれまでのいきさつをお話し、若干の寄付をさせてもらいました。どんな祭りなのか、一度も見たことがないのですが、お付き合いでと思いました。
 現代の日本の中で、村の神社とは何だろうと考えています。
 祖先の代からこの地を拓いて、共に助け合って生きてこられた人びとは、家族や村人の安全と幸福、田畑の豊作を祈願するために神をまつった。村と神社は切っても切れない存在だったろう。神社は、地区の民をつなぐ役割をもち、祭りは地域の文化の核になっていた。しかし、現代ではそれは崩壊している。若い人たち、次世代の人たち、新住民にとっては、神社の存在はますます遠いものになるだろう。扇町の場合、下堀との間に広域農道が走り、両地区がきっぱりと分断されているために扇町の新住民にとっては、諏訪神社には距離感がある。
 では、これからどうなるのだろう。
 自分の中で、葛藤は続いており、解決はしていませんが、それでは神社はなくなってもいいのかと言うと、それは考えられず、神社は地域の歴史的文化財でもあります。鎮守の杜を守っていく必要はあるとも思います。しかし、現代人の心の中の「神」とはなんだろう、の問いを考えずにいられません。
 形骸化したものを保護することは難しいです。
 答えは無いのですが、神社の存在意義を考えるために、私は神社費を出すことにしました。
 そして提案です。新しく移住してきた人たちに、ここで暮らすための参考になる考えや必要な情報を伝える、親切なオリエンテーションが必要であると思います。区の自治会としても考えてほしいと思います。この区を共に支えて、助け合い社会を作っていくためのオリエンテーションです。最近出会った場面がありました。それは東日本大震災から疎開してきた人たちが、安曇野に定住したいという希望を出したことで行なわれた、三郷の「地球宿」での「移住する人のためのアドバイスオリエンテーション」でした。ここでの生活の知恵と信州で暮らすための哲学も含まれていました。
 以上の通りです。これまでのいきさつであり、新たな提案です。>


「移住する人のためのアドバイスオリエンテーション」には、このような氏子と神社費のことをどう考えるかというのも入っていた。
村の神社を維持管理していくのは、地元に長年暮らしてきた人たちであるが、現代ではこれが難しくなっている。メンテナンスにも費用がかさみ、その負担をみんなで出し合うと言っても、若い人たちや移住してきた人たちにとっては、自分にかかわりの無いことと思われる。さらに信仰心もなく、宗教も形骸化しているのだから、これからどうすればいいのか、新しい考え方が必要なのだが、それが現れてこない。今は高齢者によって、祭りもなんとか行なわれているが、ほとんどの住民は無関心であるように見える。今後神社を維持できるかどうか。ぼくのささやかな提案がきっかけになって、みんなで考えるようになってほしいと思う。