シジュウカラの死


朝、食事をしていたら、ゴトンと軽く何かがガラス窓にぶつかる音がした。
「また、小鳥。」
「小鳥がぶつかった?」
「これで三回目ね。」
「なんで、ぶつかるんやろ。ヤマボウシの樹が大きくなって、それがガラスに映って、こっちにも樹があると思うんかな。」
夫婦で食事をしている部屋から窓越しに見るヤマボウシは、植えてから五年になる。花の終わったヤマボウシは、はき出しガラス窓からの景色を全部占領して、葉を茂らせている。
数日前、コトンとぶつかる音がしたとき、窓を見ると、二羽の小鳥がヤマボウシの向こうへ飛び去っていくところだった。
今朝もすぐに窓を見たのだが、小鳥の姿は見えなかった。



食事が終わり新聞を読もうと窓のところに来てひょいと見ると、何かが転がっている。五年前にぼくの作った白木の濡れ縁、五年間風雨と太陽にさらされて、すっかり古びた感じになったそこに、ポロンときれいな色の一点があった。
小鳥だ。
「小鳥が落ちている!」
洋子に知らせて、窓を開け、見ると小鳥はもう生きてはいなかった。
頭が黒く、頬が白っぽいクリーム色、胸からお腹までやはり同じような白さ、腹部の真ん中に黒い縦筋がある。
野鳥の本を出してきて調べてみた。
シジュウカラやな。」
本では頬は白と書いてあるのだが、この鳥はクリーム色に近い。
指で羽をつまんで持ち上げてみた。
なんと軽いことか、重さというものはもうない。
ああ、魂が抜けてしまったから、こんなに軽くなるんだ。命には、重さがあるんだ。
そう思った。


やっぱりガラスに映った木々を見て、そこに飛び込もうとしてぶつかったんだ。
たった一羽のシジュウカラ
仲間がいたのだろうか。
お腹のなかに、食べたものが入っていそうになかった。
この春巣立った若鳥だろうか。人間の住処についてまだ何も知らない鳥だったのかもしれない。
一羽の小鳥の死は、孤独で静かだった。
孤独感と静けさ、それを見るぼくの心もシーンとなった。
シジュウカラのなきがらを、庭のスモークツリーの根方に埋めてやった。


「沢を越して、これからとりつく八方尾根を正面に、シモツケソウ、オオバセンキュウ、ナデシコギボウシクルマユリなどの花々を迎え送りながら赤松の山を登りだしたが、桜井も私もものを言わない。森閑とした山に、シジュウカラのチーペ、チーペだけが冴えていたが、やがてカッコウが鳴き、キビタキが鳴き、ホトトギスが鳴く。
ホー、ショッパイ、ショッパイと鳴くウグイスが何羽もいた。」
これは、昭和17年7月、日米開戦から半年たったころ、後立山連峰縦走をした日本野鳥の会中西悟堂著「野鳥記 <雲表>」の記録。
勝利に沸いた初戦からやがて日本の戦争は困難を極めるようになっていったが、
このころはまだ山に登り、花を愛で、野鳥を探究する人がいたのだった。


最近、小鳥が少ないと思う。
山へ行ってしまったのだろう。