その時人々は

 下仁田ネギの苗を買ってきた。地元の物産センターに、規格外の苗が一袋だけ格安で出ていた。農協の店では売切れていたから、見つけたときはうれしかった。何本あるのか確認しなかった。たぶん100本あるだろうと予想していた。畝作りをし肥料を入れて一本ずつ数えながら植えたら150本あった。
 秋雄さんが、薪ストーブ用のリンゴの伐採木を2トン積みのダンプカーに載せて持ってきてくれた。
 秋雄さんは家のストーブ用に毎年たくさんの薪をリンゴ農家から手に入れている。その一部を持ってきてくれたのだった。車から下ろして積み上げたら、かなりの量だ。ありがたい贈り物に感謝する。1本1本が6、70センチほどの長さだから、ストーブにいれられる長さにこれから二つに切らなければならない。
 昼食の最後に毎日コーヒーを飲む。以前は生の豆を購入して家で炒っていたが、いまは炒った豆を購入している。それをミルでこりこり挽いてお湯を注いで、香り高いコーヒーをたっぷり楽しんでいる。
そういう日常のさまざまな局面にいるとき、ぼくの頭にはシリアもウクライナも存在していない。福島もホームレスの世界も頭にない。しかし、ぼくの頭から去ってはいない。
 今日の朝日花壇を読んだとき、それぞれの一首がぼくの想像をホームレスの世界、仮設住宅、刑務所へ飛ばせた。

     この夜をどこで過ごそうとゆく背後次々とシャッター降ろさるる音
                   (ホームレス)宇堂健吉

     道の辺にスミレ、タンポポ咲き初めて四年目に入る仮設住宅
                   (いわき市)佐藤美二

     カツカツと巡邏の靴の音定刻に規則正しく通り過ぎたり
                   (アメリカ)郷隼人

 彼らの日常は、それがすべてなのだ。
 次の詩は、ベトナム戦争が熾烈を極めたときに作られた。40年以上も前のことであるが、今も世界は同じように回っている。


       その時人々は
            飯岡亨

    彼が撃たれた時
    裂けた傷口から自然が
    勢いよく入り込んで
    彼はみるみる
    地球になった

  ヴェトナム、で
  少年の首が
  草むらへ転げおちた時
  都会の少年は
  見失ったボールを探す
  額の汗を拭いて
  サラリーマンはふと
  ポケットを探る
  駅員たちは何気なく
  時計を取り出す
  小さな家が
  彼らの帰りを待っている
  夕焼けが街を
  茜(あかね)色に染め
  人々はいさかいや噂(うわさ)を想い出し
  ちょっと顔をしかめたりして
  平和な家庭へもどっていく
  星が輝き
  夜露が降りた草むらで
  少年の胴体が
  大地に抱かれている時
  何事もなかった
  世界の街の人々は
  安らかな
  ただ安らかな
  眠りにつく。