昨夜、公民館の部屋でベトナム実習生に日本語を教えていた時、スタッフの三人が少し離れたところで雑談をしていた。こちらは教えることに集中していたから、雑談の中身は耳にとまらない。ところが、その雑談のなかから一つの言葉が耳に飛び込んできた。「ヨーヨーマ」、それだけを耳が拾った。あの世界的なチェロ奏者、中国では「マヨーヨー(馬友友)」。それからあと雑談はまた耳に入らない。と、ぴょんとまた一語が飛び込んできた。「マンマミーヤ」と聞こえた。ロングランになったミュージカルだ。いったいあの人たち、何を話しているのだろう。ロンドンで「マンマミーヤ」を鑑賞したのは14年前のことだ。そっから後、また雑談はごやごやごやと聞こえるだけで中身は耳に入らない。
二語だけを耳がキャッチしたというのは、キャッチする何かがこちらの脳の感度にあるからだ。聞こうと思っていないのに、脳はその音声を聴いていて、意識されたものをつかまえる。
今朝、新聞の朝日歌壇と俳壇を開いて、ページ全部に印刷された歌と俳句を漠然と眺めていた。と、ぴょんと目に飛び込んできた歌がある。あの雑談のとき、意識していないのに耳が言葉を拾ったように、新聞紙面を眺めているだけなのに、向こうから歌が飛び込んできた。
ヴェルレエヌ詩集わたしに貸したままいとこは逝けりインパール作戦
(武蔵野市)関口はる子
作者は八十台終わりごろの年齢だろう。従兄はインパール作戦で戦死したのだ。戦死者十六万人、そのほとんどは餓死、病死だった。渡河での水死も多い。退却路には累々と屍が続いて、白骨街道と呼ばれた。イギリス軍の攻撃で死んだ者よりも、飢えと病、無謀な作戦の犠牲者だった。作戦を強引に押し通した司令官は生き延びて日本に帰り、罪を認めずその後天寿を全うした。この夏だったか、NHKスペシャルがこのインパール作戦の全貌を報道した。
この歌が目に止まってから、ぼくは意識して紙面を眺めた。すると、次つぎと目に飛び込んでくる歌と俳句がある。
壮烈な戦死と碑文にある叔父は餓えて餓死せしインパールにて
(長野県)小林正人
壮烈な戦死と墓所には刻まれてはいるけれど、真実は餓死だったのだ。逝きしものの名誉のために、「壮烈な戦死」と刻まねばならなかった。
俳句の列を見ていたら、次の句に目が止まった。
戦場に行った父は兄は死んだ。爆撃にあって祖父母は死んだ、母も死んだ。過去をたずぬれば、誰かが戦争で死んでいる。沖縄戦の場合は、この俳句がぴったり該当する。曼珠沙華(まんじゅしゃげ)、死せし者を悼む。
餓死といふ戦死もありし敗戦忌
(高槻市)池田利美
戦後、戦死者として祀られている人の中におびただしい数の餓死者がいる。「戦死」という一語で済ましてしまう人間は、その他の死をも一語で済ましてしまう。「事故死」もそうだ。無念の死が、非業の死がある。
一人ひとりの死がある。その死をもたらした罪過をもつものたちがいる。