まど・みちおさんを偲ぶ

 まど・みちおさんが亡くなられた。104歳、長生きされた。
 詩人の、ねじめ正一さんが追悼文を書いておられた。(朝日)
 「ずうっとまどさんのことを子供向けのぞうさんの詩人だと思っていた。ところが、『うたを うたうとき』という詩を読んだとき、私は私の詩の読み方の浅さを恥じた。
    うたを うたう とき
    わたしは からだを ぬぎすてます
 この初めの2行を読んだとき、まどさんの詩は平易なひらがなの詩なのに、現代詩を超えていると思った。現代詩のように人間の内面や普遍的な真理は抽象的観念的な言葉でしか表現できないと思っていたが、まどさんの詩は平易なひらがなの詩なのに、きちんと人の心に届いている。
 つまり、からだという日常を脱ぎ捨てなければ詩は書けないのだ。世の中のしがらみや野心を脱ぎ捨てなければ、人の心を打つ詩の言葉は出てこないということを、まどさんの詩から教えてもらった。」

 この詩の全文をぼくはまだ読んでいない。読んでみようと思う。
 まどさんは、「一日中田んぼや野っ原を駆けずり回って、土に、空気に、太陽にまみれ、‥‥御飯の一粒一粒を数えるようにして、しんみり味わいながら食べる。そして、ただじんわりじんわりと口を動かしていることは、食べているというよりも、むしろ大きい自然とともに、見えない真理とともに、呼吸しているような気さえして、知らず知らずに深い思索の旅へ出たりすることもある」というような感性の持ち主である。

 今日はいい天気だった。雪の山々がくっきり青空に映えている。野の雪がどんどん融けている。
 庭の雪も融けて、地肌が見えてきた。そうしたら、スイセンの芽が伸びている。福寿草のつぼみが地面から顔をのぞかせている。スズメたちが枯れ草の間に頭を突っ込んで食べものを探している。
 まどさんの詩に、春の命を詠んだ詩がある。まどさんは、命をうたう詩人であった。


       きこえてくる

    土の中から 聞こえてくる
    水の中から 聞こえてくる
    風の中から 聞こえてくる
 

    ここに 生まれ出ようとして
    小さな 数かぎりない生命(いのち)たちが
    めいめいの階段を のぼってくる足音が


    ここに 生まれてきさえすれば
    自分が 何であるかを
    自分の目で 見ることができるのだと
    心はずませて のぼってくる足音が


    いったい だれに きいたのか
    どんな物をでも そのままにうつす
    空のかがみと 水のかがみが
    ここに たしかにあることを
    ここが 宇宙の
    「かがみの間」で あることを
 
   
    土の中から 聞こえてくる
    水の中から 聞こえてくる
    風の中から 聞こえてくる


    小さな 数かぎりない生命(いのち)たちが
    ここへ ここへ ここへと
    いま 近づいてくる足音が


 ねじめ正一さんは追悼文で、「まどさんは戦後詩人の中で最も優れた詩人の一人である」としめくくっていた。今年、1月15日には、詩人、吉野弘さんが亡くなられた。87歳だった。吉野さんもまた、戦後詩人の中で最も優れた詩人の一人だった。