時代を詠む・読む


 稲の稔りを見回るHさんに、諏訪神社の手前で出会う。Hさんには二人の男子の孫がいて、五月の幟旗(のぼりばた)にはその子らの名前が書いてあった。その孫も小学生になっている。Hさんとは、2年ぐらい前から時々出会って挨拶を交わして話をするようになり、今日は稲の話になった。
 「やっぱり天候不順でねえ、米が少し小さいようだね。いつもはもっと穂を垂れるんだけどね」
 よく稔ると、穂が重くなって穂先が深く垂れる。それが幾分浅いと言う。なるほどそう言えばそのように見える。稔るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな、という一句が浮かぶ。
 「こんな天候は今までなかったね。経験したことないね」
 「そうですねえ、日照が足りないかもしれないですねえ。 テレビニュースでやっていましたが、穂高産の米がJAで一等米だったとか」
 「一等は一等なんだけど、米の大きさは小さいね」
 「豪雨があり、旱魃があり、異常気候は地球規模のようですねえ。アメリカの町の名前忘れましたが、もう雪が降ったとか言ってましたね」
 「世界中で変な気候になってきているね。で、今年は山行きましたか」
 去年立ち話で、常念岳へ登ってきたとHさんに言ったことがあったことを思い出した。
 「ああ、今年の山ですか。今年は蝶ヶ岳に登ろうと思っていたんですが、8月のお盆のころ、雨でねえ、行けませんでした。それでこの10月に行こうかと」
 Hさんと笑顔で別れて、朝のウォーキングを続けた。
米作りは、技術も機械化も進んで、昔のような厳しい労働ではなくなっている。収量も多少の変化はあるが、大きな打撃に至ることはない。

 最近、日本の社会状況、世界の状況、自然の状況を見ていて、なんとなく将来があやしくなってきていると感じる人が多くなってきた。戦争の前夜のような不安感を感じる人もいる。昭和12年、日中戦争が始まったころの政情、民心と現在とを重ねる人もいる。
 あのころ、こんな短歌がつくられていた。(「昭和万葉集講談社


    人手なき今年の村はどの家もどの家も皆田植え遅れぬ
                   増田義雄
    田草とる泥手ぬぐひて戦線の友よりの便りあぜに受けとる
                   石川春水
    泣きやみて田に眠る子のあはれさを妻と言ひつつ稲刈り急ぐ
                   片岸芳久美
    稲こきを終へて湯に入る真裸のわれのへそより籾(もみ)のこぼれぬ
                   平野千里
    出征者数より軍需工業転出者の数多しこの村もこの村もと心慰まず
                   五島茂
    明日は征(ゆ)く兄上なれどねむごろに鍬(くわ)みがきいます百姓の兄は
                   寺沢クニ枝 

 第一首、農家の働き手が、次々と戦場に行く。人手のない村では田植えも遅れた。
 第二種、夏は田んぼに生える草を手で水をかき回してとった。泥で汚れた手をぬぐって、戦場からとどいた友の手紙を畦で受け取ったのである。
 第三首、若い夫婦は、幼子を田んぼの畦に寝かせて稲刈りをした。夫婦は、かわいそうだなと思うけれど、そうするより仕方がなかった。
 第四首、稲こきは足踏み機だった。仕事を終えて帰る。風呂に入れば、へそからモミがこぼれた。
 第五首、出征者も出た。さらに軍需工場への転出者も多く出た。そのほうが戦場へ行くよりも、農村に残ることができるからだ。
 第六首、出征してゆく兄は鍬を丁寧に磨いて出て行ったのだ。再び戻ってくるかどうかも分からない戦場、だからこそ心をこめて磨いて行った。