長田弘の詩、三編 (その一)


       

           大きな欅(ケヤキ)の木の下で


    大きな欅(ケヤキ)の木の下の道を歩く。
    ただそれだけである。
    ただそれだけなのだが、
    どこにもないものが、
    そこにある。樹上に、
    大きな青空がある。濃い
    樹形には、大きな感情がある。
    冬の裸木には、するどさがある。
    春から初夏へかさなってゆく
    葉の緑には深く感じる季節がある。
    大きな欅(ケヤキ)の木の下の道を歩く。
    ただそれだけである。
    ただそれだけなのだが、
    大きな欅(ケヤキ)の木の下の道からは、
    世界のすべてが見える。
    遠い遠いむかしに、荘子は言った。
    大きな樹を見て、その用なきを
    憂うる人に、荘子は言った。
    それなら、無何有(むかう)の郷(さと)に、
    広漠の野に、大きな樹を移し、
    終日、樹のかたわらをめぐって、
    無為に過ごして、逍遥として
    樹の下の時間を楽しめばいい、と。
    世界には二種類の人がいるのだ。
    心に無何有(むかう)の郷をもつ人と、
    世に用無きものを憂うる人と。
    大きな欅(ケヤキ)の木の下の道を歩く。
    ただそれだけである。
    ただそれだけなのだが、
    幸福はただそれだけでいいのである。


 大きな欅の木の下の道を歩くだけであるが、どこにもないものがそこにある。樹上の大きな青空、濃い樹形の大きな感情、冬の裸木のするどさ、春から初夏への緑。世界のすべてが見える。荘子は、「無何有(むかう)の郷」という理想郷、ユートピアを唱えた。中国の紀元前三世紀、戦国時代の思想家、荘子は、老子の思想を継ぎ、自然のままに生きることをよしとした。役に立つか立たないかと、効率や能力・成績ばかりを重視していては、幸福を見いだせない、人間の浅はかな人為にたよらない自然の理に生きる楽土、「無何有(むかう)の郷」が理想であるとした。
 ぼくは、長田の弘この詩がきっかけで先日、万葉集巻十六に、「無何有(むかう)の郷」という言葉が歌に詠まれているのを知った。詠み人知らず、3851番目の歌である。


    心をし無何有の郷に置きてあらば藐姑射(はこや)の山を見まく近けむ

 
 「私の心を無何有の郷においたら、不老不死の仙人が住むという中国の藐姑射(はこや)の山を見ることも近いだろう」、と奈良時代のどなたかが詠っていたという驚き。老荘の思想を今から1300年以上も昔の人が知っていて、自分の生き方を考えていたという驚き。奈良時代平安時代の日本人にとっては、中国の唐の国は、絢爛たる文明の国だった。遣唐使たちは憧憬の唐へ、命がけの航海をして文化を学んだ。
 自国や自己の利益のためには破滅的な絶滅戦争もいとわない現代、かの時代の人間にぼくは思いをはせる。