北川冬彦「悪夢」



 戦争を体験していない人が圧倒的に多くなった。戦争を知らない人に戦争を教えることはできない。せめて体験した人の言葉を読ませたいと思う。しかし、それを読んでも、戦争はそのかけらほども伝わらない。だから、戦争は繰り返される。
 それでも読む人に想像力があるならば、何かが伝わる。伝わるものから何かの思想が生まれてくる。
 北川冬彦の「悪夢」という詩の連作がある。



       悪夢 二


  火の粉が
  あられのように降りそそいだ。
  こがらしが枯葉を吹きつけるように
  火の玉が
  街路をころがった。
  地獄の業火さながらだった
  このとき以来
  神国は
  人びとの脳裏から
  消えうせた。



       悪夢 五

   
  妻は二人の子を連れて
  小さな麦畑に逃れ
  手で穴を掘り
  子を埋めて
  その上に身をおおった、
  首だけ出した赤ん坊は
  火と煙で
  ときどき息が絶えた。
  妻が狂気して
  新しい土を
  首のまわりにかきあげると
  息を吹き返したという。



        引き揚げの人


  裏に犬の毛皮をはった帽子をかぶる、異様なかっこうの人だった。
  背負った荷物の端に
  錫(すず)のやかんを一個しばりつけていた。
  ――こいつはるばる蒙疆(もうきょう)からくっついてきたんですからね。
  まるで赤ん坊をあやすように
  やかんの腹をぱんぱんと掌でたたきながら言うのだった。
  あの人は焼野と化した水戸で下車したが
  粉雪の吹きつけるプラットホームに降り立って
  ぼうぜん、しばし動こうともしなかった。
  覚悟はしていたものの
  あんなにひどいとは思いもうけはしなかったのであろう!
  帰心矢のごとく
  胡砂吹きすさぶ蒙疆より、引き揚げてはきたものの
  はたしてあの焼跡の
  いずくに寄る辺(よるべ)があったのだろうか。
  プラットでは
  人びとは群れ
  粉雪を頭から降りかぶりつつ、ふかし芋を買うのに忙しかった。

 
 蒙疆(もうきょう)は、中国の北西部である。敗戦後戦地から、満州から朝鮮から樺太から、そしてシベリアから、ぞくぞくと引き揚げ者が帰ってきた。着の身着のまま帰りついた故郷は爆撃に焼かれていた。帰る家のない人が多かった。
 昭和4年に、北川冬彦は「戦争」という詩を書いている。本格的な戦争が始まる前、じりじりと戦争へ傾斜していく日本だった。そのころに北川が書いている。


「苔のはえた肋骨に勲章をかけたとて、それが何になろう。
 腸詰をぶらさげた巨大な頭を粉砕しなければならぬ。腸詰をぶらさげた巨大な頭は粉砕しなければならぬ。
 その骨灰を掌の上でタンポポのように吹き飛ばすのは、いつの日であろう。」


と。
 この表現、誰のことを言っているのかあいまいに思える比喩だが、それでも誰だか察することができる。このような批判を詩に詠うのは当時は危険なことだった。だから北川はぼかした比喩でこのように詩に詠った。