詩人・三好達治は樹木葬を願った



 三好達治の詩、「雪」を知らない人はいないだろう。

        雪

  太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
  次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降りつむ。

 この短い詩からイメージするもの、無限の味わい。
 達治の詩の中に、これは樹木葬だなと思える詩を見つけた。詩集「花筐」のなかの一篇である。激烈なる戦火によって国が衰亡に向かう時期、昭和19年(1944)に作られた。達治は44歳であった。詩の連と連の間に、現代語訳を入れておこう。


        願はくば
            三好達治

   願はくばわがおくつきに
   植えたまゑ 梨の木幾株
      (お願いします。私の墓所に梨の木を何株か植えてください)
   春はその白き花咲き
   秋はその甘き実みのる
      (春は白い花が咲き、秋は甘い実ができます。)
   下かげに眠れる人の
   あはれなる命はとふな
      (梨の木かげに眠る人のはかない命のことは聞かないでください。)
   いつよりか われがひと世の
   風流はこの木に学ぶ
      (いつからか私は人生の風流をこの木に学びました。)
   それさへや 人に告ぐべき
   ことわりのなきを あざみそ 
      (でもそれを人に話すほどのことはありません。あきれないでください。) 
   いかばかりふかきこころを
   つくすともなにをかたのまん
      (どれほど深い心をつくしても何も期待できないのです。)
   うたかたのうたはうかべる
   雲なればやがてあとなし
      (あぶくのような歌は浮かびますが、雲のようなもので、やがて跡もなく消えます。)
   しかはあれ時世をへつつ
   墓の木の影をつくらば
      (そうではありますが、時代をこえていつまでも、墓の木が影をつくりましたら)
   人やがて馬をもつなぎ
   旅人らここにいこはん
      (やがて人が馬をつなぎ、旅人たちがここに休むことでしょう。)
   後の世をおもひなぐさむ
   なかなかにこころはやすし
      (後の世を思うと、心がなぐさめられ、ほんとうに心が安らかになります)
   願はくばわがおくつきに
   植えたまゑ 梨の木幾株
      (お願いです、私の墓所に梨の木を何株か植えててください)

 この詩は三好達治が梨の木を植えてほしいと、友だちに残した遺書のような詩である。阪本越郎が解説でこんなことを書いている。
 <フランス浪漫派詩人、ミュッセは「リュシー」と題する詩の中で、「われ亡きのちは、わが友よ、願はくは 一もとの柳を植ゑよ、おくつきに」と歌って、柳の緑の陰のやさしさを恋い慕っている。三好達治が梨の木を所望したのは、東洋の詩としての面目が躍如としている。梨の雪白の花、その清楚虚淡な風情は、古くから中国の詩人たちが愛玩し、多くの詩歌文章に取り上げた。
 達治は苛烈な戦時下、明日の命も期しがたい無常の思いにかられてこの作をなした。一抹の悲壮感を帯びている。その生の最後に、梨の花の高貴と清楚を恋うたのであろう。>

 死を予感する戦時の中で、三好達治の心に自然に湧いてきた樹木葬である。この詩には樹木葬の原点がある。しかし、樹木葬という言葉は存在していなかった。
 同じ詩集に、次の短詩がある。

       朴の花

     朴の花朴の花
     広葉がくれに咲きにけり
     旅に死ななん日はいづれ
     廓寥(かくりょう)として世はさびし

 高木、朴(ほお)の、花は六月ごろに咲く。天から降りてくるような高貴な香りの白く大きな花である。葉もまた大きい。いずれ旅に死ぬであろう日がやってくる。この世はなんと空しく寂しいことか。
達治は昭和39年(1964)、64歳で没した。達治の墓所に梨の木が植えられたかどうかは、知らない。