鶴見俊輔が、著書「思想の落とし穴」の最後に、不思議な詩を載せている。彼の詩だと思う。詩の題は「寓話」、すなわちたとえ話。この詩は、1986年に発表されている。
著書のあとがきに、鶴見はこんなことを書いている。
「自分の思想は自分にとっての落とし穴だろうが、そこからはいでる道は、自分の思想の落とし穴への気配を感じるようにすることから、ひらける。すくなくとも、見えやすくなる。」
思想というとおおげさな感じがする。いつもの自分の思い、考え方と言ってもよい。人びとはそれにもとづいて行動している。固定観念もそれに入る。今の世の中、人びとはどんな思いや考えにもとづいて生きているのだろう。
政治が混迷し、社会が崩れていくのは、人びとの思想の混迷のせいなのか、思想が存在していないからなのか。
鶴見さんは、亡くなってしまった。
寓話
きのこのはなしをきいた
きのこのあとをたぐってゆくと
もぐらの便所にゆきあたった
アメリカの学者も知らない
大発見だそうだ
発見した学者は
うちのちかくに住んでいて
おくさんはこどもを集めて塾をひらき
学者は夕刻かえってきて
家のまえのくらやみで体操をしていた
きのこはアンモニアをかけると
表に出てくるが
それまで何年も何年も
菌糸としてのみ地中にあるという
表に出たきのこだけをつみとるのも自由
しかしきのこがあらわれるまで
菌糸はみずからを保っている
何年も何年も
もぐらが便所をそこにつくるまで