シリア砂漠の少年

 60余年前の作だろうか、井上靖の「シリア砂漠の少年」という散文詩がある。最初の部分はこんな内容だった。
「シリア砂漠で羚羊(カモシカ)と一緒に生活していた少年がいた。ヨモギのように伸びて乱れた髪、全裸だった。彼は時速50マイルで走った。」
速度をキロに直すと80キロ。
 原文はこういう詩である



       シリア砂漠の少年

シリア砂漠のなかで、羚羊の群といっしょに生活してゐた裸体の少年が発見されたと新聞は報じ、その写真を掲げてゐた。蓬髪の横顔はなぜか冷たく、時速50マイルを走るといふ美しい双脚をもつ姿態はふしぎに悲しかった。知るべきでないものを知り、見るべきでないものを見たやうな、その時の私の戸惑ひはいったいどこからきたものであらうか。
その後飢ゑかかった老人を見たり、あるいは心おごれる高名な芸術家に会ったりしてゐる時など、私はふとどこか遠くに、その少年の眼を感じることがある。シリア砂漠の一点を起点とし、羚羊の生態をトレイスし、ゆるやかに泉をまはり、真直ぐに星にまで伸びたその少年の持つ運命の無双の美しさは、言いかへれば、その運命の描いた純粋絵画的曲線の清冽さは、そんな時いつも、なべて世の人間を一様に不幸に見せるふしぎな悲しみをひたすら放射してゐるのであった。



 この社会、一方で飢える老人がおり、一方で金にあかして傲慢な暮らしをする芸術家がいる。そういう文明の対極に見た、カモシカの群れと暮らしていた野生人の少年の清冽な美しさ、それを思うとき、少年は現代人をみんな一様に不幸に見せるふしぎな悲しみをもっていたと詩人は詠う。
 井上靖がこの詩を書いてから、文明はますます発展したはずだが、なんら進歩してはいなかった。シリアは、独裁的政治家とそれに反逆する人びとと、さらに自分たちの国をつくろうとして攻撃するISと、その上から米軍らの空爆が行われ、血で血を洗う戦乱の国と化した。

 インターネットで送られてきた写真を見た。波打ち際にうつぶせに倒れたシリアの幼い子どもの遺体だった。赤いシャツに青いパンツ、寄せる波の方に小さな頭があり、もっともかわいい盛りのときに、命の火が消された。トルコの兵士が発見して撮ったのだろう。
 写真の下に、
「安全な地を求めギリシャに向かおうとした幼いシリア難民のアイラン君は、ボートが転覆し溺死しました。私たちは彼の命を取り戻すことはできませんが、これ以上幼い命が犠牲にならぬよう、欧州連合EU)に至急新たな難民受け入れ対策を求めることならできます。」
とあった。
 シリアを逃れてドイツをめざす難民の群れ、避難の旅路の途中でこの悲劇があった。現代世界はどうしてこのような事態を招いてしまうのか。
 ハンガリーからオーストリアを経てドイツに入った難民たちを温かく迎えたドイツ人の姿に救いを感じる。だが、戦乱の世にピリオドを打つことのできない、救いようのない人類を地球は抱えつづけることができるだろうか。
 難民受け入れ、日本はどうする。