山尾三省「びろう葉帽子の下で」


 山尾三省さんが亡くなって13年余になる。三省さんは、1960年代、社会変革を志してコミューン活動をはじめ、1973年には、インド、ネパールへ巡礼の旅に出た。1977年、屋久島の廃村に一家で移住。田畑を耕し、子どもを育て詩やエッセイを執筆した。屋久島で三省さんは、見捨てられたその土地を再び人間の住む土地に戻し、新しい村里をつくること、島の生活の深い伝統に学び、今世紀の地球的諸問題の解決に貢献できるような里の誕生を願った。
 三省さんの詩は、三省さんそのものであり、人間そのものであり、心にひそむ願いそのものだ。
 ぼくは心洗われた。三省さんは、2001年8月28日、屋久島で胃癌のため死去した。


           びろう葉帽子の下で


       びろう葉帽子の下で
       じゃがいもを 掘る
       物言わず じゃがいもを掘る
       (チェルノブイリの灰降り)
       百の怒りが
       わたしの内に ないわけではない
       (チェルノブイリの灰降り)  
       また百の悲しみが ないわけではない
       それらに 身と心をゆだねないために
       また じゃがいも自身を掘るために
       びろう葉帽子の下で
       じゃがいもを 掘る
       びろう葉帽子の上には 四十度の直射日光が降っているが
       びろう葉帽子の下には
       冷たく湿った土と じゃがいもであるわたくしがある
       (チェルノブイリの灰降り)
       百の怒りが ないわけではない
       また百の悲しみが ないわけでもない
       びろう葉帽子の下で
       呼吸をととのえ 物言わず じゃがいもを掘る


           真事(まこと)

       いろりを焚いていると
       それは
       囲炉裏を焚くという 真事(まこと)であった
       明るい炎と
       炎の底の 黄金色の熾(おき)の輝きに 導かれて
       またしても わたくしがわたくしである 真事であった
       わたくしの孤独が
       眼前の 明るい炎であり
       炎の底の 黄金色の熾(おき)の輝きであることを
       これまでは 決して知らなかった‥‥
       いろりを焚いていると
       真事 ということばに 出会ってしまった


             般若心経

       私が声に出して般若心経を唱えると
       三歳の道人(みちと)が聞いていて
       とてもいいねえ と言った
       そして自分でも もんもんもんとまねをした
       何日かたって
       ラジオから御詠歌を歌う女の人の声が流れてきた
       すると道人はにっこり笑って
       おとうさん やってるねえ と言った
       私にはすぐには何のことか判らなかったが
       すなわちそれが 道人の般若心経であった


              月夜

       インドのカイラサ山にある マノワサロ湖は
       観音様の涙 から生まれたという
       世界の悲惨を救うために
       観音 は世に現れたが
       世界の悲惨は あまりにも多く 深く
       それを救うことはできないと 知って
       観音は 涙を流した
       その涙から 真っ青なマノワサロ湖が 生まれたという


       月の夜に
       そんな話を 友だちから聞いた