わけのわからない歌



 万葉集に、「わけのわからない歌二首」と題して、こんな歌が載っている。


  我妹子(わぎもこ)が額に生ひける双六のことひの牛の鞍の上の瘡(かさ)


 「我妹子」というのは男性が女性を親しんで言う言葉で、「子」はまあ言うなら「ちゃん」みたいなものかな。「ことひの牛」というのは、重い荷を背負う強い牛のことで、ぼくは今日、それが、「こってうし」という言葉と同じだということを発見した。「こってうし」という言葉は、ぼくの育った大阪の河内で使っていた。今も残っているはずだ。
「あいつは、こってうしみたいなやつだ。」
と言うと、あいつは頑健で、少々のことでは音を上げない奴という意味だ。
 そこでこの歌を解釈しようとするが、わけが分からないようにつくったんだから、わけがわからない。
 私のかわいこちゃんの額に生えている双六のコッテ牛の鞍の上のデキモノ。
 なんのこっちゃ。双六遊びは、奈良時代以前にインドから中国を経て日本に伝わっていた。
 もう一つの歌は、


  我が背子(せこ)がたふさぎにする円石(つぶれいし)の吉野の山に氷魚(ひお)ぞさがれる


 「背子」は、女性から兄弟や恋人や夫を親しんで言う言葉だ。「たふさぎ」は、ふんどし。「円石」は円い石。
 解釈しても解釈できないけれど、訳してみると、
 「うちの旦那のふんどしにする円い石の、吉野の山に氷魚がぶらさがっている。」
 わけが分からないが、なんとなくハハーン、円い石は睾丸、氷魚はペニスではありませんか。
 中学生の時、町の自治体警察が青少年健全育成の一環で、町の道場に依頼して柔道を教える活動をしていた。ぼくは友だちと習いに行った。そのとき、青年同士が組んで乱取りをしていて技をかけたら睾丸に脚が直撃した。睾丸を押さえた男がうーんと言って倒れたとき、師範が言った。
 「竿だっか、釣鐘だっか?」
 それを聞いた中学生は、ワハハハと大笑い。翌日、その言葉は学校ではやった。
 この歌を考えていて、その時の隠語を思い出した。
 さて万葉集のこの二首のあとに、二首が創られたいわれが載っている。
 この二首の歌は、舎人親王が『わけの分からない歌をつくったら、銭と絹をやろう』と言われたので、大舎人の安倍朝臣子祖父がすぐに作って献上した歌である。子祖父はみごと絹と銭二百文を獲得した。
 万葉集にはいろんな歌が載せられている。人をからかう歌もある。千三百年昔も、人びとはユーモアを楽しんでいた。