「チロルの墓碑銘」

「チロルの墓碑銘」という短い詩が、「ドイツ詩抄」(冨山房インターナショナル)に、詠み人知らずとして載っている。作者が分からない。チロルの山のどこかの墓石にその詩が書かれているらしい。


  
     チロルの墓碑銘



    現身(うつしみ)は、
    ただに苦し身、
    死にてのみ
    いやさるる身はや。


 「この世で生きている身は、ただただ苦しい。死ぬことだけが、苦しみから私をいやすことなのか、ああ‥‥。」
 こんな言葉を墓石に刻んだ。そこに葬られた人の生涯がどんなものだったのか。そこにこの短文を刻んだ人は、その苦しみを知り尽くしていたのか。あなたは、死んでやっと救われましたと。
  訳者の山口四郎は、こんなことを解説で書いている。
 「この詩は、かつて在日し、今ではだれひとり知る人もあるまいドイツ人、ヴォルファルトの『ドイツ詩華集』から採った。欧米諸国によく見られる墓碑に刻まれた銘で、まったくの『詠み人知らず』である。彫刻家で詩人だった高村光太郎は死の前年、『まったく人間の生涯は苦しみの連続だ。死んでやっと解放され、これで楽になるという感じがする』と言っている。」
 光太郎は、戦時中、詩人として高みから戦意高揚を高らかに歌い上げ、国民に影響を与えた。戦後、彼は戦争協力者としての自己を暗愚であったと悔い、自己を責めて東北の僻村にひきこもり畑を耕した。人にはそれぞれ苦悩がつきまとう。「苦しみの人生」があるからこそ、人間は、生きている今、苦からの解放を求めて行動する。
 ベートーベンの交響曲第九の合唱の詩の一節。



    生きとし生けるものは
    すべて喜びを自然の乳房から飲み
    善人も悪人も 人はおしなべて
    喜びのバラ色の足跡を追う
    喜びは われらに くちづけと陶酔と
    死をもかえりみぬ友とを与える
      ‥‥‥
    喜びとは
    永遠の自然の世界の
    強靭なバネを言うのだ。
    喜び、それは大いなる世界時計の
    歯車を動かしている。



 「歓喜に寄す」というシラーの詩の一節。シラーはゲーテと並ぶドイツ古典主義の双璧。この歓喜の歌は、彼が放浪のなかで得た友情の喜びを歌っている。
今は年の暮れ、「第九合唱」は歌われているだろうか。



 メーリケは「ああ、人はそを思え!」と歌った。


    いずこの森かは知らず
    緑ふくひともとのモミ
    いずこの庭か知らず
    咲き出でしひともとのバラ
    それらはすでに
    おまえの墓に植えられ
    おまえの墓に生いたつべき さだめを負う
    ああ 人はそを思え!