阿修羅


 奈良へ阿修羅を見に行ったのは二十代の頃だった。五十年も前のことだ。興福寺五重塔を右に見て、ひとり奈良公園の木立ちと芝生のなかを歩いていった。阿修羅像、天平の仏、それだけを見たい。写真に見る阿修羅の顔と姿には、長い歴史を超越して、今に生きる者の魂、心を感じた。阿修羅に直接会いたい。
 ぼくは阿修羅の前に立って、阿修羅と対面した。館内に人はいなかった。ぼくは、ほーっと息をつき、言葉にならなかった。ただただ見つめるばかりだった。阿修羅は、生き方を変え、人の世を悲しみ、憂え、無言で祈り続けた。天平の祈りは今も止むことのない人間社会の争乱や悲哀、苦悩への祈りだと思った。
 1949年に婦人民主新聞に発表されたという「阿修羅」の詩があった。作者は婦人運動の指導者だった。

   
      阿修羅
            苅田あさの

  ここに阿修羅は立っている
  三つの顔と
  六本の細い長い手をもって
  可憐な少年の姿をした阿修羅は ここに立っている

  
  せい一ぱい みはって
  一てんを みつめている
  この眼が涙をはふりおとさないということがあろうか
  しんけんな必死な願いが
  ひきよせた眉根の
  かすかな隆起をつくっている


  うぶげもみえそうな 子どもらしいくちびるが
  歔欷(すすりなき)をおさえて
  かみしめられている
  こんなあどけない顔に刻みこまれているために
  このかなしみは更にいたましく さらに切ない


  うでわのはまった蜘蛛のように細くながい手
  その手は胴のあたりで
  折れんばかりに うち合わされている
  その手はたえかねた叫びのように
  のろのろと天へ さしのばされている


  どんな無法なあつい願いが
  どんな無法な切ないなやみが
  この半分裸の下袴だけの かぼそい少年らしい体を
  おしたおそうとしているのか


  三つの顔と
  六本の手と
  求めなやみ あこがれ もだえる
  人間の永遠に幼いすがたをもって
  阿修羅はここに立っている