金子光晴の詩「コットさんのでてくる抒情詩」


 金子光晴の家族が疎開した富士山麓、山中湖畔での生活、その村には外国人も疎開してきていた。金子光晴一家の疎開生活は昭和18年10月から昭和21年7月まで約3年、この間に息子へ召集令状が来て、光春夫婦は必至に抵抗し、軍隊への入営を免れて、昭和20年8月15日の敗戦を迎えている。このとき、光晴は52歳だった。
 「コットさんのでてくる抒情詩」は、貧しい苛酷な疎開中の暮らし、外国人のコットさんは病気の身体を横たえたまま、米も薪もない。


         コットさんのでてくる抒情詩


     子どもも見ている、
     母も見ている。
     けさ。湖水がはじめて凍った。
     水はもううごかない。
     ラムネ玉のように。
 

     母は氷のうえをすべってみたいという。
     子どももまねをして
     ちょっとそう思ってみる。
     だが、子どもは寒がり屋。
 

     厚い氷の板の下は、
     牛乳色に煙る。
     死者の眼のくまのような
     そこふかいみどりいろ。
     底の底を支えた水が、たえず
     水にひきづられているのだ。
     この氷盤をまっぷたつに割るものは
     めぐりくる春より他にはない。


     ――戦争は慢性病です。
     コットさんはいう。
     ――冬がすめば、春がきますよ。


    子どもよ。信じて春を待とう。
    だが、正直、この冬は少々
    父や母にはながすぎる。
    子どもにはとりかえす春があるが、
    父や母に、その春はよそのものだ。
    大切な人生の貴重な部分を
    吹き荒れた嵐が根こそぎにした。


    コットさんはながいからだを
    病気で、床によこたえている。
    米ありません。
    薪ありません。


    いま世の中をかすめているものは
    絶滅の思想だ。
    こずえにうそぶき、虚空にうずまいているものは。


    日没は弱陽(よわひ)で枯れ林を焚く。
    暮れ方の風の痛さ。
    すきま風漏(も)る障子をしめて、
    子どもはきいている。
    母はきいている。


    不安定な湖の氷が
    風にゆられてきしみながら、
    吼(ほ)えるように泣くのを。
    洞窟にこだまするように
    氷と氷が身をすって悶(もだ)えるのを。



 中国への侵略から始まり、1945年についに終わった15年戦争、それは絶滅の思想に基づく戦争だった。アジアの人々、世界の人びと、そして日本人を絶滅に導く思想の暴風が吹き荒れた。軍部は「一億玉砕」をうそぶき、抑圧された日本国民はそれに応えるしかなかった。コットさんも光晴一家も、厳しい冬になんの防備もなく耐えるしかない。しかしどんなに長い冬であっても春はやってくる。湖水の氷が、風にきしみ、吼えるように泣く。氷と氷が身をすってもだえる。春は近づいている。コットさんも光晴も、氷を割ってくれる春の到来を信じて待つ。