二月の朝の青空のもと
しづかに、美(うる)はしく
はろばろと林野をつつむ
残んの雪をいとほしめ。
されど更に智恵ある者は
今しそのうへを黒き翳(かげ)して
大胆にかけりゆく子供らの
汚泥(おでい)の足をいとほしめ。
ああ、そは純浄なるものをけがして
なほそのおもてに
力づよき神の姿を描く。
二月の朝の青空には、来らんとする春の息吹が感じられる。でも、いまだ雪は積もっていて、はるばる遠くまで、林野は雪景色である。「残んの雪」は、残りの雪、融け行く雪をいとおしみ愛しなさい。
けれどさらに深い智恵のある人は、今しも雪の上を、黒い影を落として大胆に走っていく子どもたちの、雪どけのどろんこの汚れた足をいとおしみ愛しなさい。雪の上の、子どもたちの黒い影、その輪郭の強さは、二月の太陽の秘めたる力でもあります。
ああ、その子どもたちの泥足は、純情な雪を汚しながらも、なおその雪のうえにいっそう力強い神の姿を描くのです。
子どもたちのどろんこの足は、雪を汚しながらも、それ以上に力ある生命の美なのです。
西条八十はそう詠う。子どもたちの持っている本然の姿は生きる力、その美しさをじっと見つめる詩人の姿がここにある。二月はずんずん過ぎていく。もうすぐ命みなぎる春が来る。