2015-01-01から1年間の記事一覧

 この国のゆく道

平成25年9月15日現在の総務省の発表では、65歳以上の高齢者人口は3186万人(推計)で、総人口に占める割合は25.0%、4人に1人が高齢者だ。 国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、この割合は今後も上昇を続け、20年後の平成47年には33.4%となり、…

 孫娘は秋休みでやってきた

小学一年生の孫娘が秋休みで兵庫からやってきて、ジイジ、バアバとこの一週間暮らしている。 孫娘の学校には秋休みというオリジナルな制度がある。昔は農村部の学校に、稲刈り期を休みにする農繁期休暇があったが、そういう休暇ではない。一般の小学校では一…

  ソビエトに強制移住させられたコリアン

在日コリアンの高君からメールが来た。 そこに添付された動画の映像は、高君が今回取材してきたロシアのコリアンの強制移住の歴史だった。高君はこれまで、フリーのルポライターとして、在日のコリアンやアメリカのコリアンなど、虐げられてきた人びとの歴史…

 社会を映す短歌

季節の移り変わりや時の変化に敏感な歌詠みは、時代の異変にも鋭く感じる。それを短詩に表現しようとする。 朝日歌壇の選者は4人、その人たちが選んだ短歌を今朝の新聞で読んで驚いた。選者はたくさんの投稿から、それぞれ10首ずつ選ぶ。各歌人の感性・評…

 「森という文化」

「信州に『樹木葬自然公園&子どもの森』を!」という提案書を書いて、長野県知事に送った。 その提案のなかの「森という文化」の項目で、ドイツ、オーストリアと、日本の「生活の中にある森」の事例に触れ、市民の暮らしのなかに存在する「森という文化」を…

 最後まで火を焚こう

<写真>この伐り株、何かに似ている。ゴジラのようだ。 2015年7月20日、哲学者の鶴見俊輔さんが世を去り、彼を偲ぶTVの特集番組で語っていた。 「自分の人生はあとわずかだが、人間の永遠性について考えます。イギリスの数学者で哲学者だったホワイトヘッド…

ひざにお灸をすえてます

ひざに、お灸をすえたらどう? 家内がそう言って、 長らくやっていなかった「せんねん灸」を、どこかから出してきた。 箱を開けたら、以前の使い残しのお灸がたくさん入っている。 お灸の本も一緒に出てきた。 ひざ関節に効くツボは、どこかいな。 軟骨すり…

石牟礼道子「全句集 泣きなが原」

図書館に石牟礼道子「全句集 泣きなが原」(藤原書店)を見つけ借りてきて読んだ。 1969年、石牟礼道子の「苦海浄土」を読み、この人の「深か心」のたゆたう、かつて出会ったことのない自由な文章のはらむ愛に深く感動し、中学生の国語の自主教材にしたいと…

  北川冬彦「悪夢」

戦争を体験していない人が圧倒的に多くなった。戦争を知らない人に戦争を教えることはできない。せめて体験した人の言葉を読ませたいと思う。しかし、それを読んでも、戦争はそのかけらほども伝わらない。だから、戦争は繰り返される。 それでも読む人に想像…

 少しずつ元気が回復してきた

庭から声が聞こえてきた。 庭に出ることができたんだ、ほっ、安堵した。 今日は、別の病院へもう行かないと言う。 行く気が起こらないと言う。 かかっている医者へも行かない、新たな病院へも行く気にならない。 薬も飲むのをやめる。 そう思うのならそうす…

 朝の電話

朝早く、電話がかかってきた。 消え入りそうな、しゃがれた声で言う。 ねえ、もうだめかもしれないのよ。 食べられないし、 歩けないし、 目も見えなくなったよ。 もう、わたしだめみたいだから、 あと、お願いするね。 お別れのあいさつみたいだ。 すっかり…

 戦争を招き寄せている

次の文章、いつの時代のものか。 「この田舎にも朝夕配られてくる新聞の報道は、私の最も欲しないこと、つまり戦争をさせようとしているらしい。現代の戦争をあやつる少数の紳士諸君は、それが利益なのだから別として、再び彼らにだまされたいらしい人たちを…

 学校の自然

8月2日の「ビオトープ研究会」で校庭観察 何回か草刈りをしてあるが草ぼうぼうになっている田んぼのあぜと、まったく草刈りをしないで放置してきたために草ぼうぼうとなっているあぜとでは、一見して分かる。放置してきたあぜは、草は背高く、茎太く、密生…

 ひざの軟骨がすり減った

何かの動物の頭蓋骨。ハクビシンかキツネか、なんだろう。 常念山脈から流れ落ちる烏川渓谷まで登り、ぐるっと回って帰ってくる朝のウォーキングができなくなった。 8月に入った頃から、左ひざに痛みが出るようになり、どこかいい医者はいないかなと、散歩し…

 シリア砂漠の少年

60余年前の作だろうか、井上靖の「シリア砂漠の少年」という散文詩がある。最初の部分はこんな内容だった。 「シリア砂漠で羚羊(カモシカ)と一緒に生活していた少年がいた。ヨモギのように伸びて乱れた髪、全裸だった。彼は時速50マイルで走った。」 …

 ドイツ学生の歌

図書館のコーナーにCDの棚があった。何かいいのがないかなと目を近づけてみていくと、フィッシャ−ディースカウの歌うシューベルトの「白鳥の歌」と、その近くに、エーリック・クンツと合唱団の歌う「ドイツ学生の歌」という、4枚のCDに95曲入ったのがあ…

 彼らはベトナムに帰って行った

ハップたちベトナム青年3人が国に帰る。朝7時前、見送りに彼らの寮へ行くと、3人はスーツをびしっと決めて寮の前で待っていた。ハップは笑顔で近づいてきて、両手でぼくを抱き締め、ありがとうございます、を繰り返す。時間が近づくと、帰国しない実習生たち…

白馬岳の見えるところに

もう退院して家に帰っているだろうと、キタさんの家に電話を入れた。聞こえたのは奥さんの声だった。 「今、ベッドに移そうとしていたところです」 家に帰ってからは、部屋の中は車いすで移動して、ベッドで寝ているという。 少し間をおいて電話に出たキタさ…

 ワイマールの歴史とナチス、そして日本

今日、8月30日、安保法案を許さない全国行動だった。 この安曇野の田舎の駅前でも集会があった。 100人ほどが集まって、意見を発表しあった。 ワイマールはドイツの中央にある。バッハ、リスト、ゲーテ、シラーなどが生きたドイツの精神文化の中心であった。…

 徴兵を忌避した北御門二郎と今の日本

70余年前、トルストイの文学と思想に深く共鳴した一人の日本人が、徴兵を忌避し、さらに飛行場をつくる勤労動員をも拒否して反戦を貫いた。徴兵検査の時、徴兵官は、北御門二郎を神経を病んだ者として扱い、放免した。1945年1月の勤労動員のときは、村長命令…

「自分はどう思う?」

鶴見俊輔が、こんなことを書いていた。 「大阪の言葉で、『自分はどう思う?』というたずねかたがあって、‥‥」 「隣人記」を読んでいた時、えっ、それ大阪の言葉なんか?と、大阪出身のぼくは思った。つづきを読んでいくと、 「大阪の言葉で、『自分はどう思…

 富士山に登ってきたハップ君

「富士山、登ってきたよ」 とハップ君は教室に入ってくるなり言った。 「えーっ、頂上まで行ってきたの?」 「そう」 なんと頂上まで登ってきたのだと言う。その証拠、彼はポケットからスマホを取り出し、人差し指で写真を写し出した。先日の日本語教室での…

 ”安曇野ひかりプロジェクト”福島親子キャンプ<4>

幼児の時代や小学生の時代に体験しておかなければならないことがある。10歳までにたっぷり体験しておくべきだという説もあるのは自然体験である。「自然体験」という言い方は茫漠としているし、「自然」という概念も様々だが、今回のキャンプで、子どもたち…

 ”安曇野ひかりプロジェクト”福島親子キャンプ<3>

17日の午後から、お母さんたちは地球宿で「癒しのプログラム」。子どもたちは翌日午後まで親から離れてキャンプ場で野性生活を楽しんだ。17日の夕食は、自分たちで焼く「タコ焼き」と、もぎたての蒸かしトウモロコシ。昼食のカレーの残りもある。 タコ焼き屋…

 ”安曇野ひかりプロジェクト”福島親子キャンプ<2>

16日夜に雨が来た。この夏はガンガン照りが続いてきて、やっと来た慈雨なんだが、キャンプにとっては、いささか困った。明日は子どもたちが川遊びする予定になっており、その夜はそれぞれ家族ごとにテントで一晩を過ごしていたから、雨がいつまで続くのか…

 ”安曇野ひかりプロジェクト”、福島の家族キャンプが始まった

15日、原発事故を受けた福島から親子がやってきて、保養ステイするキャンプが始まった。今年は四年目、例年通り「安曇野地球宿」と「どあい冒険くらぶ」が舞台となる。 16日、晴天。午前中「地球宿」の畑でジャガイモを収穫し、それから「どあいキャンプ…

 美しい森に還り、森をつくる

3年前、「安曇野に樹木葬自然公園&子どもの森を!」というプロジェクトの構想を練り、いろいろな市民の集まりや研究会で理念と構想を提唱してきたが、賛同する人は多いけれどもその企画実現に向けて活動する発起人集団や組織を生みだすには至らず、この構…

 ポツダム宣言に原爆投下を予告、隠されてきたこと

アヤさんが持ってきてくれた中日新聞の一束の中には、ポツダム宣言の全文が特集された紙面もあった。ポツダム宣言を受諾したから戦争が終結したという歴史認識は多くの人がもっている。学校でも学ぶ。けれどポツダム宣言の内容を読んだかということになると…

 教育の世界へのしばり

アヤさんの畑に一斉に芽が出ている。どうもソバらしい。アヤさんは何枚かの畑を持っているが、自分一人で耕すことが困難だから、大型機械を使って播種から収穫までを請け負う農場に栽培を委託している。 アヤさんがやってきて、 「バローというスーパー知っ…

 キタさん、最後の闘い

まったくキタさんという男は猪突猛進だった。 大学山岳部の5人パーティで、春富士にチャレンジした。そのなかにキタさんとぼくがいた。1957年、御殿場の駅で降りると、米軍のMPがホームに立って巡邏していた。MPは背が高く、鋭いまなざしでホームを見渡…