「森という文化」


 「信州に『樹木葬自然公園&子どもの森』を!」という提案書を書いて、長野県知事に送った。
 その提案のなかの「森という文化」の項目で、ドイツ、オーストリアと、日本の「生活の中にある森」の事例に触れ、市民の暮らしのなかに存在する「森という文化」を書いた。

 「日本は山林の国です。しかし、暮らしの中の森はどんどん姿を消しました。都会のなかの森はわずかです。そこで緑地公園という形で、森の復元が行なわれています。人間の暮らしの中に樹林があるということは、快適な住環境をつくるうえで、文明先進国では欠かせないこととなっています。
 たとえば、ドイツの森、パリの森は、市民の身近な『歩く文化』の場として愛され、散策の小道がたくさんつくられています。都会では、自然を取り戻そうとする企画が大胆に行なわれ、樹を植えることが可能な所には樹を植え、街路樹も樹冠までうっそうと茂るように、緑化が進められています。地球温暖化の問題、都市のヒート・アイランド現象を防ぐためにも緑化は重要です。」

 そうして日本でも空き地の少ない都会のなかに緑地がつくられてきた。
 信州は山の国、ぼくの住んでいる安曇野も周囲が山々で、山林がたっぷりある。歴史的に人間がこの地域に住みだしてから、食糧生産のための開拓が平たん部、平地で進み、一坪でも耕作地を増やしたいと雑木林は伐り倒され、水路が網の目のように張り巡らされ、生活の場の樹林は姿を消した。提案書でぼくは、自然豊かな信州であるが、人びとの暮らしの中の自然、とりわけ子どもの暮らしのなかの自然が影を薄くしていることの危険を書いた。
 取り上げたドイツの森、オーストリア・ウィーンの森の「暮らしと文化」の歴史を考える時、ひとつ疑問が湧いた。あのヒトラーの時代を経てきた国が、どのようにして森を守ってきたのだろうか。
 提案書では、ドイツ文学者で、ドイツに長く住んで日本文化大使として活躍した、旧制松本高校出身の小塩節が書いているドイツの川や森について紹介した。


 「どんな町はずれにも、噴泉のそばに大きな菩提樹が茂っていて、五月ごろには花が蜜を生み、ミツバチがブンブンいっている。木陰には小川が流れ、青い流れのなかにはカワマスが矢のような速さで走っている。ドイツ人は森の民族だ。町々村々は必ず森に包み囲まれ、大都会でさえ、市街地の中に面積の五十パーセント近い森を茂らせている。森を間近にし、森のなかにいないと息ができず、生きていけない。彼らの食事は本質的に森の住民のものだ。ほんとうのドイツの料理は、ノロ鹿や野ウサギ、ハトの料理、堅い黒パンと銀モミや菩提樹の蜜と森のさまざまなベリー類のジャム、森に放牧してドングリを食べさせた豚のハムやソーセージだ。ドイツの森は、行けども行けども行きつくせない。シュヴァルツヴァルトの森は長さが百二十キロ、横の幅が六十キロの大森林である。私の住んでいたマールブルグの町も、一歩街を出れば、深い森と畑とがどこまでも続いている。ラインハルトの森は太古のままの千古不伐の自然である。」
 
  ドイツ人は暮らしの中に樹林をもち、樹林を愛する人びとが豊かな文化を創造した。だとして、湧いてきた疑問は、ナチスの時代にそれが破壊に至らなかったのはなぜなのか。
 ドイツの環境研究家の著書が書評で紹介されていた。(10・11朝日新聞。「ナチスと自然保護 ―景観保護・アウトバーン・森林と狩猟」フランク・ユケッタ―著)。著者はドイツ生まれの、現在イギリス・バーミンガム大学准教授。評は五十嵐太郎東北大学教授。

 「ナチスが悪であることは世界の共通認識だろう。本書がとりあげるのは自然保護運動である。1935年、ナチス政権下で画期的な自然保護法が制定され、国家レベルの自然保護ブームが到来した。これが美しい景観設計にも連動したことは特筆すべきだろう。ドイツではロマン主義から自然保護の理念がもたらされ、それが郷土を守る運動となり、景観の保存はドイツ人の力の基礎だというヒトラーの言葉に近接していく。むろん両者は同じではないが、熱狂的な郷土愛、自由主義への批判、『集団の利益は個人の利益に優先する』など共闘しうる部分もあった。実際、自然保護論者は、ナチスの政策に疑念を抱いていたとしても反対せず、むしろ自らの理想を実現すべく、ナチスのレトリックを利用し、政権と友好関係を結ぼうとした。著者は、南部の山と採石場の問題、蛇行する川と治水事業、渓谷と水力発電などの具体例を慎重に分析する。ナチスの関与と成果は一様ではないが、東ヨーロッパを征服し、景観をドイツ化する東部総合計画には、自然保護の専門家が加わっていた。ドイツを旅すると、戦争の記憶が都市の随所に蓄積されており、歴史と向き合う国だと納得するが、このテーマが検証されたのは2002年のシンポジウムからという。『たとえ苦痛なことであろうとも、自分の過去に正面から目を向けることは基本的なことだ』。居心地が悪くても、歴史的な真実を知ったうえで、未来に進むこと。今後の環境保護運動に教訓を与える本だが、戦後70年の日本にとっても同様だろう。」

 なるほどと合点がいった。ドイツの森の文化や美しい景観が一朝一夕でなるものではなく、伝統的なドイツ人の長い実践の結果であり、その過程にナチスヒトラーの強力な推進があったのだろう。ヒトラーは若き日、美術の道を歩んで芸術家になる夢をもっていた。放浪生活をしていたころはワーグナーに心酔していた。自分の本質は政治家ではなく芸術家であると信じていて、第一次世界大戦がなかったら建築家になったと思うと答えたという。ドイツ民族の健康を守ることにも強い関心を持ち、「健康は国民の義務」と定め、反タバコ運動を積極的に行った。安全な環境、発癌性のある殺虫剤や着色料の禁止などにも政治性を発揮している。強大な権力を手中に収めた人間の恣意が、どのような方向に動いていくか、彼の美意識に反すると感じると徹底的に排斥する。ヒトラーの独裁は、甚大な破壊と犠牲を生んだ。そして一方で残されたものがあった。それが「ドイツの森」であったのだろう。