学校の自然


8月2日の「ビオトープ研究会」で校庭観察


 何回か草刈りをしてあるが草ぼうぼうになっている田んぼのあぜと、まったく草刈りをしないで放置してきたために草ぼうぼうとなっているあぜとでは、一見して分かる。放置してきたあぜは、草は背高く、茎太く、密生している。ぼくの借りている畑の、これから種まきをしようと思っていたところは、雨が降り続くから10日ほど見に行かなかったら、とんでもない状態になっていた。晴れた日にやっと草刈り機に燃料を入れて、ぶんぶん刈っていった。円盤ののこぎり刃ではない、2本の短いプラスティック製のひもを回転させる方式の草刈り機は、安全で音は小さいものの、生長して硬くなった草の茎は硬く、すぱっと切れない。草が小さいうちに刈ればよかったのだが、つい気を抜いて草畑にしてしまう。昔の精農は手鎌でせっせと刈って、草を短く管理していたものだが、その頃の人たちの勤勉さは大したものだと思う。
 先日、小学校の校庭を見に行ってきた。この夏から研究会をつくって、校庭の池に水草を移植したばかりのビオトープだ。その状態を観察するためだったが、ちょうど休み時間で子どもたちがたくさん水辺に集まって遊んでいた。声をかけると、口々に水の中にいる虫たちのことを教えてくれる。
ミズカマキリがいるよ」
と男の子。どこどこ?
「タニシがいるよ」
と女の子が水の中からつまみだして見せてくれる。5ミリほどの巻貝、子どもの目はよく見えるんだなあ、じいちゃんの目には見えない。
「アメンボいたけど、今いない」
 エンジン音がするから見ると用務員さんが円盤で水辺の草を刈っている。ビオトープにしようとしているそこには、11年前新校舎に学校が移転したとき造られた水の流れと小池がある。その水辺の周辺に何本かクヌギやヤナギが植わっているが、ほとんど大きく育っていない。だから緑陰と言えるものがない。草はまばらに生えていて、用務員さんはそのわずかな草地の部分を刈っている。背丈が5センチほどの草の緑が広がるところはいい感じだが、刈られようとしている。タンポポの花も咲いている草地は、ビオトープの水辺にはとても大切なものだ。そこは草が水分を保ち、生物の棲み家にもなる。
 けれど、用務員さんの円盤は丹念に、土を削るように刈り取っていく。
 4年前、この学校の秋の運動会を参観に来た時、9月の日差しがきつくて、親や祖父母たち参観者は木陰を求め、わずかに植えられている何本かの木立の下に集まっていた。けれど一本の木陰には3、4人ぐらいしか入れない。ほとんどの観客はじりじり照りつけられながら運動会を眺めていた。ぼくも木陰を探したが、どこにも入るところはなかった。草地はなく、むき出しの地面に照り返しがきつい。だから退出することにした。
 学校砂漠だ、とそのとき思った。
 それから奥本大三郎やいろんな意見から、ぼくの頭に「学校に学校林とビオトープをつくろう」という目標が生まれた。そしてやっと今年、新しく赴任してこられた、外遊びを重視する学校長や、理科の教員、公園緑地事務所の所長、PTA役員、合鴨農法で田んぼをビオトープにしている農業者、そこへ植物の研究をしてきた新任の教育長も加わって研究会が立ち上がった。昆虫研究をしてきた市の職員も応援してくれた。おかげでぼくは自由に学校を訪れて、このように子どもたちと、水生生物をいっしょに観察することができる。夢みたいだ。
 女の子が、
「においがする」
と言う。水の臭いだろうか。ぼくの鼻には臭わない。敏感だな。へどろ臭かもしれないと思う。烏川渓谷緑地事務所の佐々木さんの言っていた、水底の腐敗臭かもしれない。
 ずぼんをたくしあげて水の中に入る男の子がいる。
 円盤が近づいてくる。草が削り取られて、土が露出していく。見ていて痛々しい。
 ぼくは用務員さんに話してみようと思った。
「この草地が子どもたちにとってとてもいいんですよ」
 思いきってそう言うと、用務員さんは、
「土曜日に運動会もあるから、全部刈ります」
と、にべもない。子どもたちが間近で遊んでいる。けれど円盤は廻っている。少し危険だ。用務員さんは草に集中していて子どもが目に入らない。まじめで、熱心な職員さんなんだが、と思う。
 この小学校は樹木も極端に少ない。運動場周囲や中庭の立ち樹の数を数えると、20数本だ。それらの樹も下枝をすべて落とされている。横に枝を広げて豊かに茂る自然な姿ではない。夏休みにカブトムシの来ていた貴重なナラの樹も下枝がばっさり切られている。これも「まじめな」仕事の結果だ。
 用務員さんの職務からすれば、学校環境を整備することが仕事だ。運動場に草を生やさないようにすること、枝が折れて落ちてこないようにすること、落ち葉をきれいに取り除くことなどがある。樹木に子どもがよじのぼったりすることができないようにするというのもあるかもしれない。草刈り機を回している用務員さんは、その点で職務をきっちりまじめに果たす人だ。田のあぜを草ぼうぼうにして放置するような人ではない、精農のような人だ。
 一方で教育の側からすれば、子どもは自然に触れて、自然体験や自然学習から人間形成をしていくものだから、その視点から教育環境を用意しなければならない。バッタもカマキリもいる。チョウやトンボも飛ぶ。ミツバチやハナアブも来る。池には水生生物がいる、小鳥もやってくる。木登りもできる。そういう校庭がいい。コンクリートで敷き固めた中庭は管理しやすいが子どもの世界ではない。
 休み時間に、50人ほどの子どもたちが水辺に集まって遊んでいる。子どもたちは、わずかな自然に引きつけられるように集まってくる。ビオトープと呼ぶにはまだ無理だけれど、それでも幾種類かの水生動物がいるだけでもここは子どもたちの楽園になる。草もまた必要な構成要素なのだ。
 そうすると、学校教育のなかに、「子どもたちとともに創っていく学校環境」という分野が当然あるべきだ。ビオトープも子どもたちで創っていくのがよい。クラスごとに畑があればなおよい。
 「まじめな用務員さん」も学校教育を創っていくメンバーであるから、「子どもにとって必要なこと」「子どもと教育の視点」の研修が必要だと思う。研究会ではこれから植樹も企画したいものだ。