ポツダム宣言に原爆投下を予告、隠されてきたこと


 アヤさんが持ってきてくれた中日新聞の一束の中には、ポツダム宣言の全文が特集された紙面もあった。ポツダム宣言を受諾したから戦争が終結したという歴史認識は多くの人がもっている。学校でも学ぶ。けれどポツダム宣言の内容を読んだかということになると、読んでいないという人がほとんどだろう。ぼくもこの新聞で初めて全文を読んだ。中日新聞はその宣言文とともに保坂正康氏の「歴史は消しゴムで消すことはできない」、古川隆久氏の「国際的合意 軽視できぬ」というタイトルの論評を載せている。
 この5月の党首討論で、共産党の志位氏が「ポツダム宣言は日本の戦争を世界征服のための戦争で侵略だったと判定している」と言うと、安倍首相は、「ポツダム宣言のその部分をつまびらかに読んでいないので論評は差し控えたい」と答えた。国のトップまでが戦後歴史認識の出発点を理解せずに国を動かそうとしているのならば、危険この上ないことだ。
 ポツダム宣言の第三条には、こんな文章がある。
「吾等ノ軍事力ノ最高度ノ使用ハ 日本国軍隊ノ不可避且ツ完全ナル壊滅ヲ意味スベク 又同様必然的ニ日本国本土ノ完全ナル破壊ヲ意味スベシ」
 アメリカ、イギリス、中国の三国がつきつけた日本軍の無条件降伏に対する誠意ある実行がなされないときは、日本軍の壊滅と日本本土を殲滅する最高度の軍事力を行使するという恐るべき内容なのだ。その軍事力の最高度とは何か、それがアメリカで開発された原爆の投下である。ポツダム宣言が出されたのは七月二十六日。しかし日本の最高権力は、これを無視した。無視すればアメリカの原爆が日本を襲うことを日本の戦争指導部は知っていたということである。かくして原爆投下が、実行に移された。日本の戦争指導部が招来した結末である。
 第十三条の結びには、
「右以外ノ日本国ノ選択ハ、迅速且ツ完全ナル壊滅アルノミトス」
 この要求に従わない場合は、たちまち日本は壊滅するだけである、という宣告。

 8月5日の朝、ぼくはNHKのニュース映像を見ていた。たくさんの生徒を前に、一人の被爆者の語り部が原爆や戦争について語っている。場面はある中学校で行われた平和学習の講演だった。被爆体験を語った高齢の被爆者は、日本の戦争責任や、福島原子力発電所の事故について触れ、「原爆に反対する私は原発にも反対する」旨を述べたとき、校長が大声で「やめて下さい」と言って講演を遮った。なんということだろう。生徒たちの前で、校長が被爆者の言論を力づくで止めてしまったのだ。
 政治的中立を求められる教育現場として講演内容は適切ではないと考えたという。校長の表情は当然のことをしたまでといったふうで何のためらいも感じられなかった。ぼくはそのシーンを見て、とんでもないことが起こっていると思った。そこは教育の場である。
 被爆者には、生き死にの体験から蓄積してきた思いや考えがある。人生をかけて核兵器をなくそうとしてきた。原爆は核分裂エネルギーを使う。原発も同じ原理である。原爆も原発放射能はとどまることを知らない。だから原発に反対する。子どもたちの未来を考えて反対する。
 校長は社会人として教育者として、その思いの表明に耳を傾けるべきであった。しかし校長は、それをさえぎった。語り部の思いはどうであったろう。
 原発に賛成する人がおり、反対する人がいるから、学校という公教育の場では中立でなければならないと校長は思った。では、中立を貫くということは、それぞれの個としての見解の表明を封じることなのか。いったい中立とは何だ。賛成でもなく反対でもない、そんな中立はありえない。戦争に賛成する人がいて、戦争に反対する人がいて、この場合の中立とはどういうことか。
 教育ということで考える。重要なことはこの被爆者が人生をかけた体験と思いをしっかり聞くことである、まずそれがあって、子どもたちは考え始める。イエスの考え、ノ―の考えのどちらかに子どもたちを分けることではない。そんなことはできない。中学生は自分の頭で考えるはずである。そこから授業で自分の思いや考えを出しあう。そしてもっといろんな人の考えを知りたいと思う。そこから研究調査が始まる。図書館へ行って資料を調べる。新聞やテレビの番組を見る。授業を科学するということはそういうことである。
 学校へ来てくれた被爆者が「原爆は原発につながる」と言ってくれたから、子どもたちの学びが始まるのだ。教育の場は異なる考え意見を出し合って学習を深めるところである。
 近現代の日本の戦争について、国民のなかで研究討議をしてこなかった。学校でもしてこなかった。日清戦争日露戦争第一次世界大戦、アジア太平洋戦争、それぞれ戦争が始まったとき、そこに国民一人一人の意志が出されたか。国民の意志を国の指導部は聞いたか。NO! すなわち民主主義は存在していなかった。
 ポツダム宣言は国民に伝えられず、受諾する受諾しないの賛否を国民は考えることがなかった。返答を抱え込んだ国の指導部による意図的な受諾の遅れによって、ヒロシマナガサキの大殺戮がアメリカによって敢行された。
 原発についても、日本の未来を考えて、国民みんなが考えを出し合うべきであった。しかしそれはなされず、政府と電力会社によって流される安全神話にだまされてきた挙句が福島原発事故だった。その惨憺たる被害の現実に目をつむり、原発を再稼働させようとする考えに反対を表明する被爆者の言論を校長は封じた。中学生の目の前で行なわれたのは、原発に反対を表明する意見への抑圧であった。生徒たちはその光景をどう見たであろうか。被爆体験を語る人たちの、命をかけてきたその語りをさえぎる権力の姿を、生徒たちは見たのだ。