石牟礼道子「全句集 泣きなが原」


 図書館に石牟礼道子「全句集 泣きなが原」(藤原書店)を見つけ借りてきて読んだ。
 1969年、石牟礼道子の「苦海浄土」を読み、この人の「深か心」のたゆたう、かつて出会ったことのない自由な文章のはらむ愛に深く感動し、中学生の国語の自主教材にしたいと、その一部を印刷して授業に乗せたのだった。水俣病をもたらした政府と企業への闘いに、チッソの一株株主になって株主総会に参加したのはその翌年だった。株主総会の会場となった厚生年金会館の大ホールの前半分は企業側の総会屋が席をうめ、後ろの座席に、白装束に身を包み、水俣病で亡くなった家族の遺影を胸にした漁民が座った。チッソを告発する支援者がその周りに座った。総会は開始とともに「議案は賛成多数で決定」と議長が叫び、時をおかず暴力ガードマンがなだれこんできて後部座席に襲いかかったのだった。ぼくは髪の毛を引きちぎられ急所を蹴りあげられた。

 水俣病が公式に確認されてから50年以上がたつ。患者の三分の一が亡くなった。この本の最後で、石牟礼道子はこう語っている。
「患者さんたちはたいへん孤独な闘いをなさってきました。みなほんとうに疲れ果てています。生き残りの患者さんの中に、『企業のつくりだした罪だけれども、企業がその罪を意識しないのであれば、その罪をすべて私たちが担いましょう』とおっしゃる方々がいます。体に苦痛があるわけですから、それは単なる観念的な言葉ではありません。これは『文明の罪』です。これまで人間が長年かけてつくりあげてきた文明は、結局、金もうけのための文明でしかないようです。いま日本では、金もうけが最高の倫理になっておりますが、それを振り捨てて、もっと人間らしい、人間の魂を大切にする倫理を立て直さなければ、いまの文明の勢いを止めることはできません。
 そのなかで海はたったひとつ残った原初です。しかし、その海もただならぬ汚染にさらされて、核廃棄物の残骸まで日本海にあるようなありさまですから、この文明の行く末というものを、人類がよほど考えなくてはなりません。」



        祈るべき天とおもえど天の病む


        さくらさくらわが不知火はひかり凪


        原郷またまぼろしならむ祭笛


        天上へゆく草道や虫の声


        闇の中草の小径は花あかり


        極微のものら幾億往きし草の径



 上野千鶴子との対談で、3.11の日のことを語った。

上野 「原発事故を知った時はどう思われましたか」
石牟礼 「また水俣のように、人びとの潜在意識には残るけれども、口に出さない状況になると思いましたね」 
上野 「水俣と同じことが福島でも起こる、と」
石牟礼 「起こるでしょう。『また棄てるのか』と思いました。この国は塵芥のように人間を棄てる。役に立たなくなった人たちもまだ役に立つ人たちも、棄てることを最初から勘定に入れている。」


        おもかげや泣きなが原の夕茜


 泣きなが原は、大分県九重町の 涌蓋山の麓にある草原だそうな。朝日長者はおごりたかぶり、餅を的にして弓で射たことで一家は没落、美しい姉妹は泣きながら草原を歩いて息絶えたという伝説があるとか。

 近現代日本の棄民の歴史が今もつづいている。
 足尾銅山鉱毒被害による渡良瀬川沿岸の農民に対する棄民。
 満州へ送った満蒙開拓義勇軍などの棄民。
 南米への移民という棄民。
 戦争のために投入された兵士たちの棄民。
 水俣の棄民。
 福島の棄民。
 無数の国内の棄民。