ソビエトに強制移住させられたコリアン


 在日コリアンの高君からメールが来た。
 そこに添付された動画の映像は、高君が今回取材してきたロシアのコリアンの強制移住の歴史だった。高君はこれまで、フリーのルポライターとして、在日のコリアンやアメリカのコリアンなど、虐げられてきた人びとの歴史を取材し、証言を動画に残してきた。そして今回、ロシアのコリアンの歴史証言を記録した。
 旧ソ連には50万人近いコリアン(高麗人)が居住していたという。高君は、9月1〜8日、ロシア・沿海州に住む高麗人を取材してきている。


 「ロシア東端の沿海州には19世紀から朝鮮人が移住を始め、自らをコリョサラム(高麗人)と呼んでいます。
 移住高麗人は17万人にのぼり、民族的コミュニティを形成していきましたが、1937年に中央アジア強制移住させられ多くの命が失われました。
 1986年から始まったペレストロイカや88年ソウルオリンピックを契機に、コリアンの民族的アイデンティティを取り戻す運動が広がりました。特に91年の旧ソ連崩壊以後、数万人が沿海州に戻り、ウスリースクでは高麗人文化センターが設立されました。
 今回、私は沿海州を訪問し、強制移住体験者3名の証言も撮影し、映像の一部をユーチューブにアップしました。ぜひご覧ください。」


 動画を見た。沿海州のウスリースクにあるコリアン歴史館の映像が現れ、「沿海州の炎 高麗人」の文字が出る。つづいて移住初期のコリアンの写真、「国境を越えた韓人たち」の姿と1874年の最初の韓人村、民族衣装を着たコリアン、そして1937年に中央アジア強制移住が始まったこと。
 高齢の移住体験者が語っている。移住を命じられたとき、三日間の食料を持てと言われた。行く先は中央アジアということだけで、どこだか分からなかった。殺されるのではないかと思った。到着すると倉庫のようなところに入れられた。冬を越して春が来ると、倉庫を出て、農場で働くように言われた。家は自分たちで建てるまで土の上に寝た。コルホーズで働けと言われ、はじめてバラック状の小屋に住んだ。
 映像の最後はシベリア鉄道を走る列車だった。

 知られざる歴史を掘り起こす貴重な映像だった。世界にはたくさんの隠された事実が潜んでいる。その一つが明らかにされている。
 https://youtu.be/K3ooskay3_k