徴兵を忌避した北御門二郎と今の日本


 70余年前、トルストイの文学と思想に深く共鳴した一人の日本人が、徴兵を忌避し、さらに飛行場をつくる勤労動員をも拒否して反戦を貫いた。徴兵検査の時、徴兵官は、北御門二郎を神経を病んだ者として扱い、放免した。1945年1月の勤労動員のときは、村長命令に背く。村長あての書状に北御門二郎はこのように書いた。 
「小生は精神病患者です。そして、小生の同病相哀れむ、かのインドのガンジーと同様、次の如く信ずるものです。
一、戦争はいかなる美名をもって粉飾しようとも罪悪たることまぬかれざること。
二、したがって、戦争に加担ないし協力することは、極力避けざるべからざること。
三、人から殺されることは罪悪にあらざるも、人を殺すことは罪悪であること。」
 1992年、澤地久枝との対話の中で、北御門は、当時住んでいた村の様子を語っている。(「トルストイの涙」澤地久枝 青風舎)
「山の中、田舎だったからでしょう。村の人は、あの人はわがままばっかり言ってると非常に憎んで、場合によってはあいつは殺してやるっていう人たちもいたようです。やられたという噂まで立ったりしました。結局、ぼくを殺す人はいませんでしたが、危害を加えたいと思っている人はたくさんいたようです。暴力を加えられても、ぼくは抵抗しないでいようと思っていました。だから、よくぞまあ無事に生き残ってきたなあと、自分でも不思議なくらいです。警察に勤めていた人から後で聞きました。あいつは政治運動をしない、破壊活動なんかもしないということで、特高警察が人間的にかわいそうだと思ってくれたんでしょう。」
 戦後、北御門二郎は農業一筋で生きて、91歳でこの世を去った。2004年だった。
 澤地との対談で、戦後47年という時代を語っている。
「思うのは、国家至上主義の悪ですね。その国家至上主義なんてものは、ぼくはもう消えかかっている、弱くなっていると思います。国家というものは、暴力機構の上に立っています。選挙制度も、とにかく貧乏人なんか絶対に出られないような仕組みになっていて、お金のある者が国を動かす。国民は、それらのもろもろの機構の上にあるのが国家なんだということが気がついてくると思うんです。憲法9条の精神にしても、国家というものを超えた視点からでないと本当に育てることはできないし、そういう考えが国民の間に芽生えていると思います。芽生えていると信じて、みなさん精神的に手をつないでがんばろうじゃありませんかということを訴えながら生きたいと思うんです。」
 澤地久枝は、戦時中に満州に渡った軍国少女だった。15歳のとき敗戦を迎え、植民地満州国は滅びた。
「戦争が終わった瞬間に、大日本帝国は雲散霧消した。国というものは何の予告もなしに消えるものだということを、私は骨身にしみて知りました。その後、一個人、あるいは一家族単位で生きていかなくてはならないという状況下で、一年間難民生活をして帰ってきたわけです。国家というものは、あてにならない、いつ消えるかわからない無責任なものだという考えは子どもの時にできたと思います。
 日本の政治は、国家の強権をさらに強くしようとしている。でも、いくら強くしようとしても、国というものはある日突然解体する。国家は何の責任も取ってくれない。
 戦争が終わった後、非国民扱いされてきた北御門さんに『おまえのような非国民がいるから日本が負けた』と言った人がいるという話がありますね。『非国民』と言われることは、日本人にとってとてもつらい烙印で、それと裏腹の関係で、『愛国心』というものを持ち出す。『おまえに愛国心はないのか』は、一種の踏み絵として使われることがあります。それについて日露戦争の時に、トルストイが言った言葉というものはとても示唆深いです。トルストイはもちろん戦争反対、日本側もそれを受けて平民新聞が非戦論をかかげていました。
 『私はロシアの味方でも、日本の味方でもなく、それぞれの政府によってあざむかれ、自分たちの幸福にも、良心にも、そして宗教にも反して戦争に駆り立てられた、両国の労働者のみなさんの味方であります。』
 これはアメリカで語られたトルストイの言葉です。トルストイのもう一つの言葉は、
『戦争は、人びとがいかなる暴力行為にも参加せず、そのために被るであろう迫害を耐え忍ぶ覚悟をしたとき、初めてやむ。それが戦争絶滅の唯一の方法である』。
 国家とか権力とかいうものは、必ず腐敗して悪いことをする。その悪いことの最たるものが戦争。国家悪とか権力悪の延長線上の戦争というものを、私は絶対に容認しない。
 ともかく、まず兵器をつくることを即時やめること、売買することをやめることです。」
 澤地久枝のこの信念は、かつての戦争の体験を通して発せられている。
 
 戦後70年、遠く地平線を見はるかすように、たどってきた日本の過去を透かし見る。日本人の心にひそんでいる傷みの感覚、それは何から来ているのだろう。
 国会では、政府自民党はいよいよ安保法案の採決をしようとしている。この国はいよいよ重大な局面に立った。半世紀前から「積極的平和」を説き続けてきた平和学の第一人者、ノルウェーのヨハン・ガルトゥングが日本の今に危機を感じて意見を発している。(朝日新聞 8月26日)
 安倍首相の言う「積極的平和」と、ガルトゥングが唱えてきた「積極的平和」とは違う。
「(私の言う)積極的平和は平和を深めるもので、軍事同盟は必要とせず、専守防衛を旨とします。平和の概念が誤用されています。(日本の国会で審議中の)安全保障関連法案は、平和の逆をいくものです。成立すれば、日本は米国と一致協力して世界中で武力を行使していくことになるでしょう。そうなれば、必ず報復を招きます。日本の安全を高めるどころか、脅かされるようになります。西洋の植民地主義に対抗した唯一の国が日本でした。当時の日本が非暴力の形で、支配されている人たちに呼びかけていれば、歴史は変わっていたかもしれません。日本が米国と軍事力を一体化させていけば、中東で米国の主導する作戦に従事することになるでしょう。そうなれば、植民地主義の継続に加担してしまいます。米国に追従するのではなく、歴史にもとづく独自性を、外交において発揮してもらいたいのです。」

憲法9条の精神にしても、国家というものを超えた視点からでないと本当に育てることはできない」という北御門の考え、そうだと思う。国家主義に立って政治を行なっていくと、憲法9条は邪魔になる。国家を守るために国防力を高め先鋭化させようとする阿倍政権は、憲法に違反しても安保法制を成立させようとしている。他国が手出しできないように日米軍事同盟を結んで、力を誇示し、攻撃を防ぎたいつもりが、逆に戦争を招き入れ、アメリカの戦争の同伴者となる。司馬遼太郎が言った、日露戦争から日本は「鬼胎」をはらみ、まっさかさまに泥沼に突っ込んでいったという、その「鬼胎」が、今また頭をもたげ、五味川純平が「人間の条件」で表した「精神のガン」が進行しているように思える。