図書館のコーナーにCDの棚があった。何かいいのがないかなと目を近づけてみていくと、フィッシャ−ディースカウの歌うシューベルトの「白鳥の歌」と、その近くに、エーリック・クンツと合唱団の歌う「ドイツ学生の歌」という、4枚のCDに95曲入ったのがあった。借りようと決めた。
家に帰り、真っ先に「ドイツ学生の歌」を聴いた。クンツのバリトン独唱と男声合唱、三日間ただひたすら聴き惚れ、ひさしぶりに胸が熱くなった。ドイツ語の発音が、心地よかった。
学生時代、ぼくが活動した山岳部は「歌う山岳部」だった。テントの夜、よく合唱した。主に山の歌であったが、中にロシア、ドイツ、イタリアの民謡があった。
それから長い年月、いま老いてドイツの合唱を聴いている。学生が歌っているのだと思ったが、合唱はウィーン国立歌劇場の男声合唱団だった。クンツの光沢のある重厚な声と、男声合唱とのハーモニーは感動だった。19世紀のドイツの学生は歌うことが好きで、彼らが愛した歌曲や民謡はオーストリア、スイス、ボヘミアの学生たちにも広がっていったという。そして若い日、ぼくらはその数曲を日本の山で歌った。
初めて聴く歌が多かったが、そのことごとくが、不思議に愛唱してきた歌のように耳になじみ。心にしみた。ドイツの若者たちは酒場で歌った。みんなでビールを飲みながら歌うのにふさわしいテンポと昂揚感のある、そして素朴な歌が多かった。
そのなかに「自由」という合唱がある。20歳の学生がつくった歌で、当時為政者が目の敵にしていた学生組合の精神を鼓舞した歌だという。ドイツの学生組合は19世紀、自由主義的風潮が高揚していたがそれにたいする批判が生まれ、一つの事件を機に弾圧されていく。解散させられた学生組合の空白期に、「おお、そのかみの学生の栄光よ」という格調高い曲が歌われた。
私が心に描く自由
私の心を満たしている自由よ
来れ、おん身の放射する光とともに
甘美なる天使の像よ!
迫害に苦しむこの世界に
おん身は姿を現わそうとはしないのか
おん身の輪舞は
ただ星空でのみ踊られるのか?
こころよい森の中の
緑の木々のもと
花々の夢の下にも
おん身のとどまる場所がある
ああ、それこそが人生というものだ
大気がそよいで、さわやかな音を立て
おん身のものいわぬいとなみが
私たちの心に喜ばしくしみとおるなら。
自由を求め、自由を讃えて学生たちが行動する歌だった。
「シュバーベンには美しい森が育つ」という、その地方の森の賛歌がある。
あの下の低いところ、そこでの生活はすばらしい
高地にはスモモ、低地にはブドウ
あの下の低いところに、ぼくは喜んで住んでいたい
あの下のネッカルの谷、あそこの生活はすばらしい
高地じゃしばしばまわりのものがぼくにはくだらなく思えるけれど
低地じゃぼくはいつもいい気分だ
この曲、日本に古くから入ってきて。帰郷の歌になっていた。