彼らはベトナムに帰って行った


 ハップたちベトナム青年3人が国に帰る。朝7時前、見送りに彼らの寮へ行くと、3人はスーツをびしっと決めて寮の前で待っていた。ハップは笑顔で近づいてきて、両手でぼくを抱き締め、ありがとうございます、を繰り返す。時間が近づくと、帰国しない実習生たちが7、8人見送りに集まってきた。会社の社長も来て、3人に感謝の言葉を述べた。
 3人のうちハップ君は、実にまじめに日本語教室にやってきて学んだ。もう一人は、何回か教室に来たが来ない日の方が多かった。3人目の人はまったく来なかった。
 ハップ君は3年間で2回、日本語検定試験3級にチャレンジしたが合格しなかった。試験の結果がとどくと、笑いながら頭をかいていた。日本語教室は週に2度、土曜日は三郷公民館、日曜日は堀金公民館に来て勉強し、学習後のお茶の時間にはいつも笑顔で愛嬌をふりまいて、おしゃべりをした。残業が入ると教室に来ない。
 教室にやってくる人の中に中国人のお母さんがいて、幼児を二人つれてきていた。ハップはその二人を妹弟のようにかわいがった。よく下の男の子を抱っこして遊んだ。この姉弟はなんとも自由奔放で、教室中に声を響かせて遊びまわることがあった。マンツーマンや小グループに分かれて、それぞれ指導者がついて教えているなかで、二人は勉強したり遊んだり。事情を知らない人がこの光景を見たら、なんと騒がしい、どうして注意しないのかと思うだろう。だが、その声を邪魔に思う人はいなかった。指導者も学習者たちもへっちゃらだった。幼児の声は耳に入るが集中した学習には何の支障もなかった。

 実習生は残業が多い。ハップたちの仕事も普段から残業が多く、残業が終わってから寮で自学するという余裕がなかったのだろう。ハップは試験に受からなかったが、日常会話はほぼ理解できた。
 8月の終わりの日曜日に、お別れ会をした。ベトナム実習生は帰国するハップを含め6人が参加した。指導者たちが準備した食事のなかに、ハップたちが自分たちで作った春巻きやベトナム料理が加わった。豚の耳や豚肉を煮て固めたベトナム料理は、こりこりと歯ごたえがあり、膝の軟骨に効き目がありそうに思えた。会の最後に、春に何度も歌って練習した森山直太朗「桜」を歌った。参加した二人の中国人の子どもたちも一緒に歌った。歌い終わったときハップが、「さらば友よ、またこの場所で会おう」と言った。みんながフフフと笑った。彼らが再び日本に来ることはないだろう。けれども、学校の同窓生のように再び会う日があればいいなと、心の中でひっそり思う気持ちに共感するのだ。
 今日、3人は帰っていった。ベトナムでは家族が待っている。ハップのお父さんは大工だと言った。これからどんな人生を歩むか、ハップは日系企業で働きたいという。この3年間は若い彼らの人生にとって未来に大きな影響を与えることになるだろう。