白馬岳の見えるところに

  

 もう退院して家に帰っているだろうと、キタさんの家に電話を入れた。聞こえたのは奥さんの声だった。
「今、ベッドに移そうとしていたところです」
 家に帰ってからは、部屋の中は車いすで移動して、ベッドで寝ているという。
 少し間をおいて電話に出たキタさんの声はしゃがれ声で、すっかり以前の勢いがなかった。
「少しずつよくなっているけどな、今年いっぱいかもしれんな」
 矛盾したことを言っているようだけど、矛盾はしていない。入院していた時にできなかったが家に帰ってからできるようになったことがいくつかある。それは少しの希望であり、同時に決定的な悲観が根底にある。医者の見立ては覚悟しろだ。ぼくは、少しの希望から奇跡が起こることを祈る。彼は、大学山岳部時代からともに山に登ってきた不屈の男だった。
 キタさんが頸椎を損傷したのは、40年ほど前だった。台湾の最高峰、玉山に登って帰ってきてからそんなに日にちがたっていなかった。奥さんから電話が入った。けがをして入院しているという。病院に駆けつけると、首を損傷して右半身が動かなくなっていた。
 キタさんは山仲間と酒を飲み、電車に乗って家に帰る途中、下車駅に気づかず数駅通り越して気がついた。急いで下車して戻ろうと反対車線に止まっている電車の先頭に行き、行き先の標識を見ようとした。酔っていたから足元がふらふらし、バランスを崩してホームから転落してしまった。電車の運転手は気づかずに発車した。死はまぬかれたが、頸椎が折れた。
 乗り越しだったから下車駅からそこまでのキップがなかった。それは無賃乗車になるとのことで国鉄から事故に対する補償はなかった。
 退院したキタさんの体は右半身マヒし、右手右足が不自由になった。持ち前のキタさんの不屈のリハビリ鍛錬が始まる。奈良市の家から生駒山のふもとまで数時間、歩いていって帰ってくる。何度も倒れてけがをした。それでも毎日歩いた。教職にも復帰した。黒板の文字は左手で書いた。山には登れなくなったが、山岳部の後輩のめんどうはせっせとした。
 こうして40年近くを元気にやってきたのだが、昨年から首の機能が崩れた。病院に行くと、頸椎の一つが消滅しているということだった。首をまっすぐに保つことができなくなった。入院して手術、しかしそのあとに菌が入った。二度入院生活を送ったが、とうとう歩行ができなくなった。
「えらいこっちゃのう、つらいのう」
 どう言ったらいいのか、励ますわけにもいかず、慰めるわけにもいかず、事実を受け止め、彼の胸の内に相槌を打つしかなかった。
「ヨッシャンに頼もと思てるんや。白馬岳の見えるところに葬ってくれ」
 そんなことを思っているのか、覚悟してるんやな、それなら一本の樹を植える樹木葬にしたらどうや。ぼくはこの3年間安曇野で提言してきた「樹木葬自然公園」の考えを言った。
「白馬の見えるとこで、ケルン積んでくれんか」
「散骨かあ、ケルン積む言うても、そういう土地はないでえ」
 山麓の土地には隅から隅まで所有者がいる。ケルンを積む土地なんかない。やっぱり公的な「樹木葬自然公園」だ。もっと早くこの計画が軌道に乗るようにしておけばよかったという思いがわく。だがそんなことを言っても、「樹木葬自然公園」の実現性なんか今のところない。だから自分自身も山で散骨してほしいと思っている。
 白馬岳の見えるとこでケルンか。キタさんの願いが白馬岳になるのは、ヨシタカが白馬乗鞍岳に眠っているからだ。1957年、キタさん、トオル、ヨシタカ、そしてぼく、この4人が雪崩に遭い、ヨシタカが死んだ。キタさんの願いは聞いてやらねばならん。
「わかった。まかしとき。白馬、調べてみる。トオルにも聞いてみるわ」
 その日の夕方、白馬に住んでいるトオルに電話を入れた。トオルは40代か50代に白馬村に家を建て、定年退職後大阪から白馬に夫婦で移り住んで、スキーざんまいの暮らしをしてきた。長い空白を置いてトオルに会ったのは10年前だった。奈良から安曇野にぼくが引っ越ししてきた年の秋にキタさんが遊びに来た。白馬のトオルもやってきて、三人で一つの碑を探しに行った。
 1968年、鹿島槍ダイレクト尾根の雪壁を登攀し、頂上を踏んだ後、猛吹雪で後輩3人が凍死した。キタさんが大阪から鹿島へ、ぼくは立山から下りてきて富山駅のテレビで遭難を知り、すぐさま大町に向かい、救助隊に入って鹿島槍に登った。稜線で2遺体、樹林地帯で1体を発見して運びおろす作業は困難を極めた。その3人の碑が鹿島槍山麓のどこかにある。ぼくらはその麓の碑の建立にかかわっていなかったから場所は分からなかった。足に不自由なキタさんは道路に立って、話に聞いていたところを推理しながら指図した。ぼくとトオルは、探し回って思いがけないところでそれを発見したのだった。
 それからまたトオルと話をしたのは、白馬村を襲った地震のときだった。幸い彼の家は地震の被害を受けていなかった。
 キタさんの状況を聴いたトオルの声は静かだった。彼も、脊柱の故障を訴えた。安曇野の病院まで治療に通っているのだという。近づいてくるエンディングは共通して自分たちのことでもある。
「わかった。考えとくわ」
 彼の胸にもその日への思いが伝わった。
 一度、白馬村へ行ってみよう。キタさんの希望の場所を見つけに。しかし覚悟はするがキタさんの体を諦めているわけではない。不屈男にどんな奇跡が起こるか分からない。案外状況を克服し、だれよりも長生きするかもしれない。