柳生博と柳生信吾 八ヶ岳の物語

 柳生真吾さんがもう半年前に、亡くなっておられたんだ。家内は以前にそのことをぼくに伝えたというのだが、ぼくの頭に入っていなかった。たぶんそれを妻から聞いた時、考え事をしていて上の空だったのだろう。
 俳優の柳生博さんの長男で園芸家の柳生真吾さんは、NHKの「趣味の園芸」のキャスターを8年間つとめていたこともある。父といっしょに八ヶ岳の南麓で暮らしながら、「八ヶ岳倶楽部」というパブリックスペースを創り、プロジェクトにあこがれて訪れる若者たちの力を得ながら、荒れ果てていた人工林を、本来の美しい雑木林に再生してきた。大学の農学部出身の真吾さんは、父とともに樹を植え、樹を育て、生き物のすみかをつくり、そして若い人たちの育ち場を創るために、若いエネルギーと豊かな創造力を発揮した。その人が47歳の働き盛りにこの世を去ったとは‥‥。5月2日、咽頭がんのため逝去。弟の柳生宗助さんが5月8日のブログで発表していた。
 「5月7日に静かな雰囲気の中で、家族葬をとり行いました。その為、皆様にご報告が遅れたことを深くお詫び申し上げます。皆様には生前大変お世話になり心より感謝しております。ありがとうございました。」
 今は博さんには孫が7人いるそうだ。博さんは、孫と一緒に森に遊ぶ。
 「手をつないで林の中を散歩しました。落ち葉や野草のせいで、歩く足音がカサコソ言うわけです。すると、子どもってみんなそうなのですが、わざと土の上に転ぶんです。で、落ち葉の上で泳ぎ始める。特に秋は、落ちたばっかりの葉っぱの上ですから、それはそれは気持ちがいい。ふかふかの絨緞の下からは、ダンゴムシなどがいっぱい出てきて、興味が尽きない遊びなのです。」
 「ジイジ、カサコソしようよ」、これが孫たちとの共通語になった。このような遊びをふざけながらやるなかで、何かを子どもたちに伝えることの大切さをジイジは知る。「八ヶ岳倶楽部」を訪れるお客さんも、三世代一緒の人たちが多く、そこで思いつくのは子どもたちの「お教室」づくりだった。そこはカモシカや鳥たちのサンクチュアリ
 父が息子・信吾について書いている。
 「東京から八ヶ岳に連れてきたころは、人見知りで僕の足にしがみついているような子どもだった真吾も、四十歳を越えました。最近僕は、真吾が言うことや、その行動に尊敬に近い感覚を覚えることが多くなってきました。たとえば僕は、あまり物事を熟考はしません。わりと感覚的に、ポンと答えを出すことが多いのですが、彼の場合は、今あのスタッフはこういう状態だからとか、このセクションが動くとあっちの人たちはどうなるだとか、こちらが成程と感心するぐらい、いろんなことに対して気づかいをして、物事を考えてから発言するのです。‥‥植物について、僕は専門的には何も勉強していません。あくまでも自分の直感と、昔じいさんから教わったことを思い出しながら森に分け入って、八ヶ岳に自分の理想とする雑木林をつくってきました。一方彼は、学問として森のこと、植物のことを学んできたわけです。生産農家に入ってめいっぱい勉強し、八ヶ岳にもどってきたと思ったら、NHKのキャスターを8年間つとめました。‥‥僕は最近、何かを決めるとき、彼に意見を求めるようになりました。僕にはない視野の広い意見を言ってくれるからです。‥‥
 真吾はいつまでたっても反抗期の息子でした。僕が何か言うといつも反抗する。しかし、周りの方々にとっては、ふとした時に、僕にそっくりだと思わせるところがあるらしく、たとえば真吾がテレビなんかに出ると、言っていることもしぐさも、気持ちが悪いくらい似ているらしいのです。じつは僕も、最近そう感じています。」(「それからの森」講談社
 その真吾さんが書いている。
「ねえねえ、外から帰ってきた子どもの第一声。いたずらっぽい眼をキラキラ輝かせながらの一言ですよね。ぼくはその『ねえねえ』が大好きです。言いたくてしょうがない出来事があったにちがいありません。友だちのことや寄り道のことや遊びのこと‥‥。舞台はいつだって雑木林を中心にした里山でした。ぼくたちはみな里山で育ったのです。
‥‥雑木林が荒れてきている。そんな現代だからこそ、ぼくは庭やベランダの存在がとても大事に思えます。ペットや園芸は、生き物の生命に触れる最高のチャンスであることには、雑木林と変わりありません。現代の雑木林は庭にあり。小さな庭でも無限に知らないことがあります。発見と驚きの宝庫です。『ねえねえ』の連続なのです。‥‥庭で生命のテーマパークを体験した子どもこそが、これからの地球を守る人になる気がしてなりません。ぼくの夢は、こどもの『ねえねえ』の言葉が永遠につづくこと、そのためにはまずぼくたちがはしゃいでいる姿を子どもたちにみせたいものです。今こそ雑木林に出かけましょう。庭に出てみましょう。そこはぼくたちを子どものようなまなざしにするのに十分なワンダーランドなのです。」(「柳生真吾の雑木林はテーマパークだ」日経新聞出版社)
 彼は身近な所でも自然を生みだすことができると、植木鉢のような小さな「ビオトープ」もつくって紹介している。ギリシャ語で「ビオ」は生命、「トープ」は場所、生命の生まれるところ。
 惜しい、あまりにも惜しい人が逝ってしまった。