長野県および各市町村自治体に、このプロジェクトを提案します <2>



       提案書つづき


  【子どもの森ゾーンの構想】



このプロジェクトは同時に、「子どもの森づくり」でもあります。「樹木葬園ゾーン」に隣り合って「子どもの森ゾーン」がつくられ、そこには、水辺、草地、林地があり、鳥類、昆虫、爬虫類など自然界の小動物が生息します。「子どもの森ゾーン」には、クリ、シイ、ナラ、クヌギクルミ、カキ、木イチゴ、ナツメ、サルナシなど、実のなる樹も植え、子どもたちが採集できます。エノキを植えてオオムラサキゴマダラチョウを、カラタチ、キハダ、コクサギ、カラスザンショウを植えて、アゲハ、カラスアゲハを招きたいです。
樹木葬ゾーン」は、延々と命のバトンが受け継がれてきて世を去った人たちのエリアです。「子どもの森ゾーン」にやってくる子どもたちは、「樹木葬ゾーン」の散策路を歩いて、連綿と続いてきた長い命のバトンを感じ、生と死の意味、命の連鎖を学ぶでしょう。「子どもの森ゾーン」は命輝くところであり、人生を創造し未来に向かって生きていく、命を育むエリアとしてつくられるのです。
「子どもの森」には水量の調節された浅い安全な小川がゆるやかに蛇行し、魚など小動物が住みます。ビオトープの池には水生生物が住み、そのほとりや川沿いの草原には、日本古来からの野草が育ちます。このような草地では、レッドデータブックにあげられている植物もすみかにするだろうと、研究家は予測しています。
古来子どもたちは、自然のなかでの遊びが生活の中にたっぷりありました。しかし現代の子どもたちは、時間的、空間的、心理的に自然から隔たっています。信州は自然が豊かだと言われますが、子どもたちが自然の中で外遊びに興じることは少なくなっています。子どもの外的自然と、子どもの内なる自然の欠乏は、文明の変化、高度経済成長とともに著しく進行しました。
1990年、教育学者の竹内常一は著書「少年期不在」で、子どもの危機を訴えました。
「子どもが本来持つべき生活が、現代社会では破壊されてしまった結果、心と体に病理現象が現れてきた。人間が生きていくために欠かせない基盤となる、自律神経、免疫、内分泌の成熟が侵され、これまでなら自然に成熟してきたものが成熟しないから、人為的に成熟させなければならなくなってきている。破壊された自然を人為的に再生させなければ自然が蘇らないのと同じように、子どものなかの『人間的自然(human nature)』もまた人為的に再生しなければ人間的に成熟しないという状況にある。その意味では、いま私たちは自然と人間を創りだした『神』のしごとに似た課題を子どもたちのからだから突き付けられている。」
恐るべき指摘です。学校の現場にいた私の体験では、子どもの中にアレルギー疾患が現れ、不登校生徒が出はじめたのは1980年でした。いじめの問題も顕在化してきました。その後事態はますます深刻になり、各種の障害や「ひきこもり」が全国的に増加しました。この傾向は日本社会のひずみ、生活の激変と軌を一にするものです。竹内常一はさらに次のように、子どもの世界が変化してきていると考えました。
「管理的秩序にこだわる子どもたちの中から、自己防衛に疲れ果てて、体制外に撤退せざるを得ない者が出ている。子どもたちの競争が変質し、排他的な自立主義者へと自己を同一化している」。
昆虫少年も少なくなりました。かつて昆虫少年だった人で世に活躍した人はたくさんいます。「日本昆虫倶楽部」 の会長を務めた手塚治虫、「ファーブル昆虫記」を愛読しノーベル賞を受賞した福井謙一、フランス文学者で「ファーブル昆虫記」を新訳し昆虫館を創立した奥本大三郎、解剖学者で、昆虫を研究しながら文明の問題を考察する養老孟司生物学者で農学博士の福岡伸一、ファーブルのような昆虫学者になるべく旧制松本高校に学んだ小説家・北杜夫、脳学者で理学博士の茂木健一郎ペシャワール会を創立しパキスタンアフガニスタンで医療と農業を支援する中村哲、この人たちは熱狂的な元昆虫少年でした。
現在、子どもの日常生活の場には、水遊びや魚釣りできる小川、いろんな虫に出会う草地、虫とりや木登りできる雑木林が激減しています。一方で、子どもたちの興味関心が自然の世界に向かわずヴァーチャルリアリティに向かい、自然の中で遊ぶ余裕もありません。
「子どもの森ゾーン」は、現代の子どもたちが、昆虫・植物の観察・採集、探鳥、遊び、冒険ができて、奪われた自然を取り戻すことをめざす空間です。
 
 
  【樹木葬ゾーンの構想】

植樹した人の名前を記念して、プレートに刻む事例は世界中にあります。オーストリアチロル地方の美しい村に、世界の人びとの寄金によってつくられている並木道がありました。一樹一樹に、寄付した人の名前が札に刻まれぶら下がっています。「樹木葬公園」の場合も、故人の名前は植樹された樹に、小さなプレートに刻まれて設置されます。
遺骨はそれぞれの樹の下に埋葬するやり方と、一定の納骨所に合祀するやり方があります。遺骨の埋葬の具体策、規定についてはプロジェクトを進める組織の中で検討され、もっとも適切なやり方がとられます。
樹木葬の人気が年々増えています。東京都の小平霊園では2012年度から共同で遺骨を埋葬する樹林墓地を始め、2014年から個別に埋葬する樹木墓地を募集しました。2014年度の希望者の倍率は10.6倍、生前葬の申し込みは倍率が19倍を超えています。
現代では、葬儀の形も変化し、家族葬が多くなりました。樹木葬では、樹の前で、家族や親しい人たちでオリジナルの「祀り」が行なわれます。同じ一本の木を何人もの人がメモリアルにすることができますから、祀られた人の異家族どうしのつながりも生まれます。
この自然公園に葬られるには一定の費用が必要です。それはこの森づくりに使われます。植樹、樹木の保護、公園の維持管理などに必要な経費です。その費用は、従来の墓石を建てる霊園の費用に比べるとはるかに少ないです。
先祖代々からその地に住んできた家の多くは所有地内に一族の墓地を持っています。しかし、新しく移住してきた人の多くは、墓地をもっていません。その地に生まれ育った人でも、墓のない人は多くいます。経済的に余裕のない家庭では、墓地を持つことが困難です。現代では墓地を持つ考えのない人も増えています。
樹木葬霊園」ができないだろうかと、心に思っている人がたくさんいます。信州を愛し、信州をたびたび訪れる他県の人たちも、魅力的な「樹木葬自然公園」が信州にできれば、希望がふくらむでしょう。樹を植え、花を咲かせ、森をつくる。日夜労働に明け暮れる人にとっても、孤独な暮らしをしている人にとっても、高齢者にも、希望の森です。
このプロジェクトは、地域の経済面への貢献という点でも期待できます。魅力あるレストラン、カフェ、温泉、宿泊施設、生産物の販売所、農業体験企画などは、地域経済と文化に寄与し、町村おこしに役立ちます。
高齢化現代社会において、いかにして人生のエンディングを迎えるのか。すべての人のテーマです。自分の迎えるエンディングが、未来の人たち、子どもたちのための森づくりであると考えると、楽しみなことでもあります。環境、福祉、経済、教育、文化、さまざまな視点から考えると、この構想は、平和な世界をつくっていくアプローチにもなることでしょう。


              つづく