小・中学校の校歌と故郷の大地 <2>

 むかし? 新任教師として赴任した大阪市の淀川中学校は新設校だった。校歌はまだなかった。校長は校歌をつくろうと考えた。どこでどういう風に決まっていったのか分からない。ある日、「日本の詩歌全集」に収められている名の知れた詩人がやってきて、校長室で話し合った後、三階校舎の階段を上がって屋上に立った。詩人は周囲を見渡し、近くに草の生えた高い土手が長々と横たわっているのを見た。堤の向こうには淀川が流れている。水の流れは見えない。後ろを見ると、住宅と工場の建物が一面に広がっている。イメージを得た詩人は帰っていった。
 むかし、江戸時代、俳人与謝蕪村の生まれた毛馬村がそこにあった。毛馬キュウリや毛馬大根が名産だった。農村は都市化に飲まれて消滅していた。
 詩人から校歌の歌詞が学校に届いた。

    彼方の海からとびたてと、
    呼びかけ招いて はばたきみせて
    近よるつばさ 若葦の
    見上げるまなこ もえたつわれら
    淀川 淀川 淀川中学校
    ‥‥
 生徒の生活実感からほど遠い歌だなと思った。その歌詞にどのようにして曲が付いたのかはぼくは知らない。
 次の学校は教育委員会が「教育困難校」に位置付けているところだった。ぼくは志願して赴任した。そこには差別の重い現実が沈んでいた。立ち上がった校区の被差別部落の運動と教職員組合の教育運動とが共闘会議をつくり、差別教育行政を撤廃する闘いを起こした。闘いは新しい学校建設の運動へと発展した。教師と市民は徹底した討議を行ない、そうして誕生した学校では、ゼロから教育内容を考えた。ぼくもその一員だった。校歌はつくらない、愛唱歌をつくるという方針はその一つだった。入学式、卒業式で歌う歌は生徒が歌詞を創った。ほとんどの学校では、校歌は入学式・卒業式で歌われる儀式の歌となっている。しかし、実際に生徒たちはどれほど気持ちを込めて歌っているだろうか。生徒が歌いたい愛唱歌を卒業式で歌おうじゃないか、卒業式の主人公は生徒だ。
 転勤した二校目だったか四校目の学校だったか、その校歌に、次のフレーズがあった。
 「河内が原の空高く 立てる理想の 学び舎に 希望はてなき若人は 文化の華を咲かさんと‥‥」
 すごい言葉が並ぶ。だが教育の実態はとてもそんなものではなかった。校歌と実態とが乖離していた。校歌は目指すべきビジョンであるとも言えるから理想を描くのはよい。校歌に、団結や一体化を求める意味もある。が、生徒は歌いたくなければ歌わない。つらい苦しい思いをして学校の中で耐えている子らにとっては、校歌を歌う気力がわかない。生徒たちが誇りをもち愛着心をもって歌うならすばらしい。生徒の心に校歌が定着していないのに、卒業式で、歌いたくない子、歌う気になれない子に強制しても声は出ない。
 「校歌だから歌わなければならないのだ」という考えは、教育の原理と逆ではないか。
 現代の日本の不登校児童生徒の数は、十数万人に及ぶ。今はもう学校に行きたくなければ行かなくてもよい、フリースクールで学んでもよい、という考え方になってきている。その子らにとって母校はどこだろう。校歌はどこにあるだろう。
 「歌いたくなければ歌わなくてもよい」という共通理解が前提にあって、「それでも卒業式にはみんなで校歌を歌おうよ」と、生徒たちが話し合い、そこから生まれてくる思いの共有が歌に結晶していくのであれば、「校歌斉唱」はそれまでとは全く異なるものになるだろう。
 これは卒業式で「国歌 君が代」を歌うことと共通の課題だ。卒業式で教師たちが歌っているかどうか、口の動きをチェックしてまで歌わせることと通じるものがある。歌わない教師を罰するという、精神に対する強制が、今や大手を振って行なわれ、教師たちが自己の考えや精神を抑え込んで従うようになっているとしたら、この国の教育はますます衰退していくだろう。
 
 萩原朔太郎が、昭和14年、「宿命」という散文詩を書いている。そのなかに「虚無の歌」というのがある。その一節は朔太郎の中学生のときの心境である。

 「ひとり友の群れを離れて、クローバーの茂る校庭に寝ころびながら、青空を行く小鳥の影を眺めつつ
     艶めく情熱を悩みたり
と歌った中学校も、今では他に移転して廃校となり、残骸のような姿をさらしている。私の中学にいた日は悲しかった。落第。忠告。鉄拳制裁。絶えまなき教師の叱責。父母の嗟嘆。そしてやきつくような苦しい性欲。手淫。妄想。血塗られた悩みの日課
 ああ、しかしその日の記憶も荒廃した。むしろ何ものも亡びるがよい。」

 このときの中学校は旧制中学校だから、今の中学時代にプラスして高校2年まで、5年制だった。
 校歌――、最近は子どもたちの生活に根ざした、身近な内容のものに変わってきていると思う。卒業式も入学式も生徒本位のもっと自由で楽しいものにできないものか。

 さて、話は戻って、
 来年のイベントに向けて、お年寄りの合唱団員は、少年時代を懐かしんで歌っている。長い人生を振り返り、今の子どもたちよりも元気な声で。