帰還兵はなぜ自殺したのか <1>


 アメリカの帰還兵が、一日平均18〜22人も自殺しているという。
 「アフガンとイラクからの帰還兵は全米に二百数十万人いる。米シンクタンクランド研究所の研究では、その約20%が、戦闘体験や恐怖から、心的外傷後ストレス障害(PTSD)や、うつ症状をわずらっていて、米退役軍人省などによると、退役軍人のうち一日平均18〜22人が自殺している。」
 これは11月11日の朝日新聞の記事にあった。ちょうどぼくは一冊の本を読んでいて、それがこの記事に一致していることに少し驚いた。

 アメリカのジャーナリスト、ディヴィット・ファンケルは、2007年から一年間、イラク戦争に従軍し、兵士たちと生活を共にして戦場の兵士のルポを書いた。ディヴィット・ファンケルは、戦場から戻ると、帰還兵士たちとその家族を訪ねてルポルタージュに書きあげた。ルポは2013年に出版され、数々の賞を受け、2015年に日本でも、古屋美登里訳「帰還兵はなぜ自殺したのか」(亜紀書房)として世に出た。元兵士たちの家族の崩壊と精神の病を詳細につづる384ページにおよぶ大著である。
 2003年に始まったイラク戦争で、泥沼の直接戦闘を担ったのは、貧困家庭出身の若い志願兵だった。イラクに派兵されたのは総計二百数十万人。そうして戦場から帰還した兵士たちは、多くが精神の崩壊をきたしていた。五十万人が、PTSDとTBI(外傷性脳損傷)に苦しんでいる。
 「彼らは、自尊心を失い、悪夢を見、怒りを抑えきれず、眠れず、薬物やアルコールに依存し、うつ病を発症し、自傷行為に走り、ついには自殺をはかる。本書で報告されたイラク戦争帰還兵の自殺は氷山の一角にすぎない。自殺ホットラインにかかってきた電話は、2011年では十六万四千件。そのうち二千三百件が現役の兵士からで、一万二千件が復員軍人の友人や家族からのものだった。
 苦悩する兵士はアメリカに限らない。日本においても、イラク支援に2003〜2009年の5年間で、のべ1万人の自衛隊員が派遣された。そのうち、NHKで報じられた自殺者は28人、自殺に至らなくても、PTSDによる睡眠障害ストレス障害に苦しむ自衛隊員は全体の1割から3割いる。自衛隊員が派遣されたのは非戦闘地帯だったと言われている。直接戦闘を体験しなかったにもかかわらず、このような影響が出ているのである。‥‥」
 著書のあとがきで、古屋美登里がこう書いている。


 「帰還兵はなぜ自殺したのか」、その膨大な記録の一部。

 「イラク戦争で最悪だったのは、明確な前線というものがなかったことだ。360度、あらゆる場所が戦場だった。進むべき前線はなく、軍服姿の敵もいない。安心できる場所はなかった。兵士の中に、頭のおかしくなるものが出た。
 イラクでの戦いが最悪の様相を呈していた時、戦うことが最優先だった。負傷兵も戦闘に戻した。
 陸軍で、自殺防止、ひいては精神衛生の問題が最優先されることは一度もなかった。兵士たちは壊れつづけているのに、だれも助けを求めようとしなかった。助けを求めるのは不名誉なことだと思っていたからだ。助けを求めても、セラピストが不足していた。‥‥
 兵士たちによく見られる現象は、いらだち、重度の不眠、怒り、絶望感、無気力、なげやり、まひ、うつ、気分のむら、自傷行為、感情の爆発などだった。
 イラクから帰還した精神のこわれた兵士。喧嘩が起り、家族はおびえ、妻は疲れ、睡眠薬抗不安薬を飲み、酒につかる。
 兵士は、復員軍人病院に行く。生還者が列をつくっている。車いすに座っているものもいる。『アメリカ人であることを誇りに思う』というTシャツを見ているものがいる。‥‥
 帰還兵士はつぎつぎ自殺をした。

 ワシントンのペンタゴン国防総省)で、自殺防止についての会議が行なわれた。報告がなされた。
『この14、5日のうちに、15人ほどの自殺者が出た』
『19歳の男性兵士が首をつりました』
『25歳、母親のところに帰されたばかりでしたが、直後に橋から飛び降りました』
『18歳の男性、排ガスによる自殺です』
『23歳、拳銃自殺しました』

 戦争の傷からの回復という悲しい仕事が、1億ドルの産業となった。兵士転換大隊総合施設(WTB)。

 帰還兵トーソロはセラピーを受けようと思う。
 「毎晩鏡を見て、自分に言い聞かすんです。『お前には価値があるんだ』と。」
 病院のプログラムの理論は、
『精神的な衝撃(トラウマ)を受けた出来事に立ち戻ること。その細部を思い出すこと。セラピーを受け、その出来事を書き記すことで、それについて考える。自分がしなかったことではなく、自分がしたことを考えられるように、あきらめずに続ける。真実は相対的なものであることを学び、精神的な衝撃を受けた瞬間と、その衝撃の後に罪悪感や羞恥心に支配される瞬間があることを学ぶ。治癒とは、納得する行為である』
 プログラムは7週間続く。

 プログラムにグループセッションがある。戦争で何が起きたのか、何度も話し合う。そして日記を書くことをすすめられる。
 ニックの日記。
 「ある家を急襲した。ドアを蹴破って中に入った。家具は多くなかった。一階にはキッチンと寝室がひとつ。ベッドに寝ていた男とその妻、赤ん坊が目を覚ました。妻が悲鳴をあげた。おれは銃を男の口の中にねじこんだ。男は両手をあげた。他の兵士が妻と赤ん坊を外に出させた。おれは男の首をつかんで引きずっていった。途中、壁や戸口にガンガンそいつの頭をぶつけながら。それから男に目隠しをして、後ろ手に手錠をかけ、軍用トラックの後部に頭から放り込んだ。‥‥」
 それからニックは悪夢に悩まされるようになった。その夢を日記に書く。
 「小学校にパトロールに入っていく。女の子たちばかりのクラスだ。女の子たちは悲鳴をあげる。おれはクラス全員を撃ち殺す。どういうことなのかわからない。こんな夢を見る自分に怒りを覚える。夢が止まらないことに怒りを覚える。昔のように楽しい夢を見たい。」

 元兵士アダムが妻と、復員軍人病院から帰宅する途中のことだった。アダムは妻に、PTSDのプログラムのことを話した。もしかしたら、それでよくなるかもしれない。妻は同意した。しかし、そのプログラムに参加すると、7週間ずっと無職で無給になる。そうなると家賃はどうする。車のローンも払えない。そこから、夫婦の喧嘩が始まった。喧嘩はエスカレートしてすさまじい状態になった。妻は拳銃を持ち出し、アダムはショットガンを自分の額に押し当ててつぶやく。
 「イラクで死んでいればよかった」

 「帰還兵はなぜ自殺したのか」の最後はこう結ばれている。
 「いたるところで戦争の痕が続いている。戦争の痕は、戦争と同じように永遠に続く。そしていま、アダムとサスキアが、カンザスの赤い傷のような草原を一日中車で走り、ようやく家にたどりつく。家に着いたのは夕方で、アダムが恥辱にまみれて家に帰ってきたときから4年が経っている。今回は、駆け寄ってきて、何があったのかと詰問するものはひとりもいない。彼は家の前で立ち止まり、大きく差し出された息子の手をしっかり握りしめる。

 イラクでの一千日のあいだ、彼はずっと立派なシューマン軍曹だった。
 そしてシューマン軍曹は傷を負った。 
 そしてシューマン軍曹は死んだ。
 そしてシューマン軍曹は終わった。
 いま、さらなる一千日の後、アダムは家の玄関のステップを目指して歩いていく。この瞬間、この世でもっとも平和に思える場所に向かって。‥‥
 不意に、自分が生きていることを実感する。この瞬間が続いたらどんなにいいか。
 「さあ、さあ、進め、進め」アダムが言う。