合唱の道“バルト街道”


 バルト三国の合唱のCDが目にとまった。エストニアラトビアの合唱団のCD三枚、市の図書館の音楽コーナーの棚にあった。借りて帰って、早速聴いた。
 民謡を交えた素朴な歌詞の、美しいハーモニー、「花冠を抱いて」という歌があり、いい曲だなあと思いつつ、付録の歌詞を見て、以前もこの曲を聴いたような気がした。少し記憶に残っている。


    花冠を抱いて、
    幸薄きエストニアを編みこむ。
    空の青さを抱いて、
    日没と夜明け、
    お前をそこに編みこもう。
    魂は困難な時にこそ、
    これほど祖国を恋い求める。
    故郷にいても、異国にいても、
    これほど祖国を恋い求める。
    愛を抱いて、
    誠実さも尊敬も、
    そうして、かけがえない祖国を編みこむ。
    血のつながり、
    兄弟の心を抱いて、
    たった一つの、幸薄きエストニアを編みこむ。
 

 「北の精神」という題の合唱があった。男声合唱から始まり、混声に移っていく清冽なハーモニー。


    森がとどろく あたり一面で
    私は開けた場所で立ち止まり 考える
    ここ、北の空の下では
    人生はなんと愛しいことか
    大地の上に広がる かくも深く青い空に抱かれ
    モミの木の揺れる頂に 風がざわめく
    そして森の木陰に
    なんと明るく輝いているのだろう 幸せの期待が
    われら北の精神の守り人が 
    終わりのない歌を歌えば
    われら北の精神の守り人が 歌を歌えば


 ラトビアの民謡がある。「私は戦争に向かった」。男声の深い静かな声。ヨーロッパは戦争に次ぐ戦争の歴史を経てきた。国境は絶えず移り変わり、民族と民族の争い、宗教と宗教の抗争、国家と国家の戦争によって、民衆は絶えず命の危機にほんろうされてきた。戦場に出て行かざるを得ない悲壮感が、寂寥の合唱曲となって歌われる。


   私は戦争に向かい、妹を揺りかごに残した。
   戦争から帰ってくると、上手に縫っている人を見つけた。
   母にたずねた。「あの上手に縫っている人はだれ?」
   息子よ、あれは揺りかごに残したお前の妹。
   縫う人よ、私の妹よ、戦争の旗を縫っておくれ。
   妹が赤で縫ってくれた。
   もう二度と私には会わないだろう。
   私は戦争に向かい、妹を揺りかごに残した。
   私は戦争に向かった。



 ラトビア民謡「歌いながら生まれ 歌いながら育った」という、歌う民の、美しい歌がある。
 

   歌いながら生まれ 歌いながら育った。
   歌いながら 一生 生きてきた。
   歌いながら 死に出会った。
   天国の庭で
   山はふるえ 森は音を立てた。
   私が歌うとき いつも。


   人びとは 歌を聞いて言った。
   ナイチンゲールが 美しく歌っていると。
   ナイチンゲール
   靴を履いて 牛を放牧に連れて行こう。
   あなたは イエヴァの並木で歌い
   私は 牛を見守りながら歌う。



 エストニアでは、1869年から5年に1回、合唱祭が開催される。合唱祭2年前に課題曲が発表されると、全国各地で練習が行なわれ、そうして合唱祭に集まってくる。合唱祭の間は首都タリンの学校などが全国から集まる合唱団員の宿舎として開放され、炊き出しが行なわれる。
 この合唱祭につきものの曲が、『我が祖国 我が愛』。1945年にソ連に併合されて以来、この曲は当局によって演奏が禁止された。ところが、1960年の合唱祭では、4万人とも6万人とも言われる聴衆のなかから、はいぜんとこの曲の合唱が湧き起こった。

     ‥‥私の聖なるエストニア
     君の鳥たちが 私に子守唄をうたってくれる
     私の灰燼から 花を咲かせる 
     私の祖国よ

 エストニアは、長い間、過酷なソビエトの占領下にあったが、国民の70%が、合唱団に所属していて、「歌うことは生きること」と言われるほどであった。1988年9月に開催された合唱の祭典には30万人が集まり、当時禁じられていたエストニア民族音楽エストニア語で合唱したのだ。それが国民の機運を高め、祖国を独立へと導いた。
 1991年8月20日、何十万もの人々が手をつなぎ、戦車の前に立ちはだかり、歌の力で一滴の血を流すこともなく、エストニアは独立を果たした。歴史上例がないとされる「歌の革命」であった。
エストニアの5年に1度の合唱祭。民族衣装に身を包んだ3万人以上の合唱団員と、エストニア各地から集まってきた聴衆と、その数は10万人にもおよぶ。海外からも多くのエストニア人が集い、7月3日の最終日の朝には、何百もの合唱団がタリン市中心の自由広場に集結、合唱祭会場へ行進を始める。そして、大地を揺るがすような歌声が響き渡る。
 同様の祭典はラトビアリトアニアでも行われ、ユネスコ世界無形遺産にも登録されている。
 東京混声合唱団の指揮者、松原千振が、CDの解説に書いている。
 「エストニアの首都タリンから南に向かう一本の道は、約600キロで、ラトビアの首都リーガを通り、リトアニアの首都ヴィリニュスに到達する。合唱という共通語で結ばれるこの道は、これからも人々が往来し、歌声が響き渡ることだろう。合唱がある限り、バルト海諸国は存在し、歌は彼らの存在を証明し続けるだろう。」
 合唱の道“バルト街道”である。